text
佐藤結
全編が“ピンボケ”で撮影されている
ホン・サンス最新作
いつの頃からかホン・サンスの映画を、フィルモグラフィーの流れの中で見るようになった。例えば、「水の中で」であれば、「あなたの顔の前に」(21)、「小説家の映画」(22)、「Walk Up(英題)」(22)に続く作品として。
映画を作るため、友人のソングクと後輩の俳優ナムヒを撮影場所となる島に呼び寄せた俳優ソンモ。
ソングクにカメラを持たせてあちこち歩き回り、ナムヒを被写体に構想を練るが、なかなか作品の全貌は見えてこない。やがて、海辺で黙々とゴミを拾うひとりの女性に声をかけたソンモは、彼女との出会いを映画にしようとする。
ホン・サンスの映画には、映画に関係する人物が数多く顔を見せてきた。「水の中で」に至る4作にも、すべて映画監督が登場する。
さらに「小説家の映画」と今作では、映画を撮るための準備、撮影、上映といった具体的な行動が描写されているのが印象的だ。
また、「小説家の映画」では執筆を休止している小説家、「水の中で」では俳優と、いわば素人が止むに止まれぬ思いに突き動かされるかのように周囲の人々を巻き込んで映画を撮ろうとするところも共通している。
ホン・サンス自身の映画作りにおける実験的な試みも続いている。
「小説家の映画」では、彼自身が過去に撮った映像が主人公の作品として使われ、「Walk Up(英題)」では映画のほとんどのシーンが一つの建物の中で撮影された。
そして、「水の中で」は、なんと全編が“ピンボケ”で撮影されている。
東京フィルメックスのディレクターで、今作がベルリン国際映画祭で上映された際のQ&Aに立ち会ったという神谷直希によれば「ピントが合っているように見えるところも全部アウト・オブ・フォーカスだ」とのこと。
事前に情報を得ていたため、心して上映に臨んだが、意外にも次第にそれほど気にならなくなった。そして、まるで印象派の絵画を見ているかのように、滲んだ輪郭の中に人物や風景が浮かび上がってくる感じも受けた。
特に海の水の青のグラデーションがとても美しかった。自身で撮影も行ったホン・サンスは、すべてが“よりはっきりと”写るようになったデジタル時代にあっても、映画にはまだまだ違った表現ができるということを示そうとしたのだろうか。
あるいは、タイトル通り、水の中から揺らめく世界を見ようとしたのだろうか。もちろん、「イントロダクション」(20)以降、ホン・サンス映画の顔となっているソンモ役のシン・ソクホをはじめとする俳優陣にとっては、気の毒なことこの上ないのだが……。
老いや死の影と、若者たちへの温かい視線が交差する近年のホン・サンス。そこに姿を見せる若者たちは、以前の作品のキャラクターたちとはまったく違い、欲望の気配がみじんも感じられないことにも驚かされた。
「水の中で」では、ソンモと友人のソングクという男性2人と女性のナムヒが別々の部屋ながら同じ宿所に泊まり、夜になると刺身を肴に焼酎を酌み交わすが、酒席は乱れることなく、翌日も3人での撮影が穏やかに続く。
それまでの生活をすっかり捨ててしまおうとしているかのようなソンモにとっては映画を撮ることだけが重要で、それ以外のことは目に入らないからなのかもしれない。
映画の結末を求め、彼が海(=水)の中へと歩みを進めていくラストシーンが、不思議にもパク・チャヌクの「別れる決心」(22)と重なった。
「水の中で」
監督:ホン・サンス
2023年製作/61分/韓国
原題:In Water
第24回東京フィルメックス
にて上映