text
佐藤結
新しい表現手段を
探しているようにも見える
3回連続で、ホン・サンス最新作「小説家の映画」を異なる視点で、異なるレビューアーが批評する、第壱回。
*
ホン・サンスの映画はいつもタイトルがおもしろい。
今回はついに初めて「映画」という言葉が使われている(邦題は原題の直訳)。
その理由の一端はプレス資料に掲載されたベルリン国際映画祭記者会見でのホン・サンスの言葉にある。
今作の準備をしているときに、まず「小説家が映画を作ろうとしている」というアイディアが生まれ、続いて彼女が作る作品として、自分が過去に撮った短編が使えるのではと思ったというのだ。
つまり、このタイトルは彼のファーストアイディアを書き留めたものであり、この作品がすでに存在していた別の「映画」から始まったものであることを示している。
前作「あなたの顔の前に」で忘れがたい演技を見せたイ・ヘヨン扮する小説家ジュニは名前を聞けば誰もが知っているような有名人だが、しばらくの間、小説を書いていない。
その理由は詳しく語られないが、映画の後半に登場する詩人との会話の中で、彼女が自分自身の書く言葉に疑念を持ってしまっていることがわかる。
それ以外にもジュニは、人々が何の気なしに口にする紋切り型の言葉に、いちいち神経を尖らせる。
たとえば、偶然、会った旧知の監督ヒョジンの妻が彼女を見て言った「カリスマ性がある」という言葉。
それを聞いて少し気分を害したような表情をしたジュニは「あなたこそ、カリスマ性がある」と言い返す。
また、その後、出会った俳優ギルスが長く作品に出ていないことについてヒョジンが「もったいない」と言った時にも、彼女の人生について彼女以上に知るはずもない彼が、どうして軽々しくそんなことを言えるのかと強く責め立てる。
ここで、ぎくりとしてしまうのは、私自身が常々、俳優イ・ヘヨンを「カリスマ性がある」と評し、ギルス役のキム・ミニが長い間、ホン・サンス作品以外に出演していないことに「もったいない」と思っているからで、スクリーンを越えて真っ直ぐに届くジュニの言葉にたじろいでしまう。
紋切り型や誇張された言葉に飽き飽きしているジュニは新しい表現手段を探しているようにも見える。
久しぶりに会う後輩が営む書店にやってきた彼女は、そこで出会った若い女性が手話を習っているというと、すぐにやってみせてくれと頼み、自分も楽しそうに真似をする。
手話がろう者の文化の中から生まれた独自の言語であることを思えば、ここでの彼女は、それまで自分が知らなかった新しい表現の可能性に純粋な喜びを感じたのではないだろうか。
そして、映画。
いつか映画を撮ってみたかったというジュニの漠然とした思いは俳優ギルスとの出会いによって一気に具体化する。
ジュニはギルスに、特別な設定はなしに、彼女と夫から染み出すものをカメラでとらえたいといきなり提案する。
有名俳優に対して、かなり失礼なお願いではと、見ているこちらはハラハラしてしまうのだが、ギルスは出演を快諾する。
その後、2人は食堂で食事をしながら言葉を交わす。
ジュニが小説を書かない理由など一切たずねることなく「なにも考えずにゆっくり休んで」と声をかけるギルス。お互いに共感できる相手と出会った喜びが伝わってくる。
はたして、1本の映画を撮ったジュニはこの後、もう一度、小説を書くようになるのだろうか。
そもそも、彼女はいったいどんな小説を書いていたのだろうかと、映画を見終わった後も、想像は続く。
余談だが、「小説家の映画」というタイトルを見て、大好きなイ・チャンドンとチャン・リュルの顔が浮かんだ。
どちらも小説家出身で、映画の中で言葉について考え続けている監督であることは言うまでもない。
ホン・サンス特集上映開催
菊川 ストレンジャー
ホン・サンス特集タイムテーブル
日時:2023年6月20日(火)~7月6日(木)
最初期・転換期・現在期の9本をセレクト上映
*6月23日(金)16:40「カンウォンドのチカラ」上映後、映画評論家・佐藤結さんのトークイベントが開催される
小説家の映画
監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス
出演:イ・ヘヨン/キム・ミニ
2022年製作/92分
原題:The Novelist's Film
配給:ミモザフィルムズ
© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED
6月30日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開