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「オー!スジョン」

A PEOPLE CINEMA

ホン・サンスと女優
オ・ユノン、イ・ウンジュから、
キム・ミニまで

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佐藤結


彼女たちの声に耳をすます

ホン・サンスの映画は曇天に似ている。

と、唐突に気づいて、なぜ、そんなことを思ったのだろうと考える。抜けるような青空の下ではもちろんなく、かといって雨もあまり似合わない、そんな世界。

とびきり幸せでも、不幸でもなく、ただ、今この時を自らの欲望に忠実に生きる男と女。生きるということはたぶんこんなものだろう、というあきらめと苦笑い。

そして、何よりも、彼の映画に登場する彼女たちの、少し鼻にかかったような、くぐもった声。

「カンウォンドのチカラ」(98)は、満員の夜行列車の通路に立つ大学生ジスクの疲れた顔から始まる。

観光地である江原道(カンウォンド)へと遊びにきた彼女はどこかふさぎがちで、酒に酔い、友人と言い争いを始める。

どうやら彼女は既婚者である恋人と別れたばかりのようだ。
その後、地元の警察官と親しくなった彼女は、二人だけの時を過ごす。

プロデューサーのアン・ビョンジュによれば、この映画を作る際に、監督とは最初の段階から、新人を起用しようと話していたという。

それはたぶん、この厳密に計算された構成の映画の中に、ある種の“生々しさ”を持ち込むための手段のひとつだっただろう。

この作品で映画デビューを果たしたオ・ユノン演じるジスクは、友人たちとの旅行先で知り合った警察官と会うために後日、一人で江原道へとやってくるが、その姿は別れた恋人の身代わりを探しているようにも見える(警察官も既婚者だ)。

終わったはずの恋から逃れられない彼女は、再会した警察官にいきなり激昂し、その後は甘えたような柔らかい声で話す。

かといって、依存できる先を探しているわけではなく、すべての行動は彼女自身の意思で決定されている(ように見える)。

見終わって残るのは映画のトーンを決めた彼女の声と虚空を見上げる男のイメージだろう。

「オー!スジョン」(00)(写真)で主人公スジョンを演じたイ・ウンジュも、一度聞いたら忘れられない、憂いを帯びた声の持ち主だ。

公開当時の記事によれば、なかなかこれという俳優を見つけられないでいたホン・サンス監督がテレビのトーク番組に出演していた彼女の声を聞いてすぐにキャスティングを決めたという。

高校時代に制服のCMのモデルを務めた後に俳優に転身という、若手女優の王道をたどってデビューを果たしたイ・ウンジュだが、弱冠20歳で「オー!スジョン」に主演し、演じ切ったことで、「猟奇的な彼女」(01)のチョン・ジヒョンや「私の頭の中の消しゴム」(04)のソン・イェジンといった同世代の俳優たちとは違うキャリアを歩むことになった。

「オー!スジョン」では、彼女に近づく画廊のオーナーの視点から描かれる前半と、彼女自身の視点から振り返られる後半を、声の強さとニュアンスの違いで演じ分け、スジョンという人物の多面性としたたかさを見事に表現している。

その後も、様々な俳優がホン・サンス映画の中の女たちを演じてきた。
湿ったようなくぐもった声で思い出されるのは、「映画館の恋」(05)と「よく知りもしないくせに」(09)のオム・ジウォン。

一方、「教授とわたし、そして映画」(10)や「ソニはご機嫌ななめ」(13)、などに出演したチョン・ユミは、他の俳優たちとはまったく違い湿り気がほとんど感じられない、硬質な声が印象的な俳優だった。「3人のアンヌ」(12)のイザベル・ユペールや「自由が丘で」(14)のムン・ソリといった名優たちは、別格の自由さで、のびのびとした声を聞かせた。

ホン・サンスの映画の変化は、演じる俳優たちの声からも感じられる。

そして、17年の「夜の浜辺でひとり」以降、ホン・サンスの映画はキム・ミニの声で記憶され続けている。

か細く少女のような声から低く深い声までを自然に使い分けながら、映画の中の人物としてそこにいる彼女の存在は、彼の映画の空気をがらり変えた。

空は相変わらず曇ってはいるけれど、時折吹く風が心地よい。


「作家主義 ホン・サンス」公式サイト

6月12日(土)より渋谷 ユーロスペースにてロードショー 以降、全国順次公開


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