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相田冬二
たおやかな凶暴さの発露
この映画には、3つの醜悪な笑みが刻印されている。
その笑みはすべて、同一男性によるものだ。
わたしが同性だから、醜悪だと感じるのだろうか。
まず、ひとつは、スジョンが処女だと知ったときの笑み。
次に、ペッティングののちに、挿入を拒まれ、固執するも、やはり難しく、駄々をこねた挙句、済州島に行きましょう、と言われ、済州でいちばん高いホテルの部屋でセックスするぞ、と張り切るときの笑み。
そして、スジョンが処女だった証をシーツに見つけたときの笑み。
どれもこれもが醜悪だが、醜悪さが段階を踏み、ホップ、ステップ、ジャンプと、ボルテージを上げている点は、映画の計算なのか、たまたまなのか。
ひとつめの笑みは、まだ可愛げがなくもない。
男という生き物の短絡さが表象されているだけ、と言えなくもないからだ。
しかし、ふたつめはアウトだろう。
未来の性的行為に想いを馳せ、にんまり。
妙な解放感と、身も蓋もない活力。
どうにも愚かしい。
が、自分もこんな顔をしたことがあるのではないか。
思わず、我が身を恥じてしまう居心地の悪さがある。
いちばんタチが悪いのは、みっつめの笑み。
これは、愚かしいを通り越して、ほとんどおぞましいレベル。
支配欲が達成を迎え、ご満悦。なにしろ、ご丁寧にも箸の持ち方までスジョンに指導するような男だ。
そんなつまらない男特有の満足感が、顔面にみなぎっていて、呆れるしかない。
いや、さすがに、こんな顔をしたことはないよ。
などと、つい自分に言い聞かせてしまうほど。
にもかかわらず、きわめてロマンティックなやりとりのまま、映画はエンディングを迎える。
これがすごい。
屈折に屈折を重ねた末の痛烈な皮肉、にも思えるが、醜悪な笑みや醜悪なエピソードはすべて丸無視しているかのようでもある。
ホン・サンス、初めてのモノクローム作品。
第3作めにして、既に、近作「正しい日 間違えた日」へと到達する、反復&パラレルワールドな二部構成スタイルは出来上がっているし、数字やテロップ文字のレイアウトも秀逸な断章形式だし、車の中のシーンなんて初期ゴダールを思わせるほどだし、相当に生臭く、マッチョでもある筋書きを、ことごとく裏切る映像イメージの確信犯的ミスディレクションは、嫌味のステージをとっくに超越しており、透明感さえ漂わせている。
あの男の笑みは、醜悪でおぞましいのは確かだが、あくまでも表層的に見つめ捉えるなら、実はとことんさわやかなのだ。
また、男が無様にも泣き叫ぶ自己本位なシークエンスも、異なる様式で反復されるが、ぼんやり眺めていると、うっかり優雅な雰囲気さえ感じてしまう。
それは罠だ。目眩しだ。錯覚だ。騙し絵だ。
それにしてもホン・サンスは、なんのために、そのような罠を仕掛けているのか。
この映画が、男性に厳しいのは間違いがない。
が、女性を擁護しているかといえば、まったくそんなこともない。
女性が男性から受けている抑圧、そして、その典型であるところの処女信仰、さらには、悲劇化に象徴される自分勝手な美化の傾向などを「対岸の火事」のように散りばめ見つめながら、それらすべてが実は馬鹿馬鹿しいこと、と言わんばかりの透徹したムードで、まったり押し切ってしまう。その、どうにも始末に負えない、たおやかな凶暴さの発露として、いちばん最後のロマンティシズムがある。
この頃のホン・サンスは、「対岸の火事」の天才だった。
「オー!スジョン」
監督・脚本:ホン・サンス
出演:イ・ウンジュ/チョン・ボソク/ムン・ソングン
韓国 2000年/126分
原題 오!수정 Virgin Stripped Bare by Her Bachelors
配給: A PEOPLE CINEMA(エーピープル・シネマ)
6月12日(土)より渋谷 ユーロスペースにて公開 以降、全国順次公開