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相田冬二
ホン・サンスは「2」という数字を生きている。
「もう少し長い呼吸で、待ってみよう」
そのメッセージは白い壁に書かれてあった。
シンプルに捉えるなら、二部構成と呼びうるこの映画は、メッセージを発見する女性と、メッセージを記した男性との、時間差の出逢いを描いている、と言えるかもしれない。
出逢いとは、すべて時間差なのだ、と言い切ることだって可能だ。
あるいは、金魚を生きたまま埋葬する女性と、金魚を日向で泳がせている男性の物語、と表現してもいい。
言うまでもなく、両者が顔をあわせることはない。
ふたりは、すれ違ってさえいない。
メッセージを媒介に邂逅しているだけであり、金魚という存在を知らぬうちに共有しているだけのことである。
それは、恋でもなければ、ロマンでもない。
言ってみれば、宇宙である、摂理である。
考えてみれば、ホン・サンスはこれまでに、恋もロマンも描いたことはないかもしれない。
彼の作品が難解であったことは、ただの一度もないが、通俗そのもののエピソードを、ある意味、執拗になぞりながら、そこに恋やらロマンやらに特有の甘いフレーバーを吹きかけることなど、決してしない。
エモーションはある。
が、恋やらロマンやらに依存したマジックには頼らない。
人間が生きている。
その結果生まれる、決して綺麗ではないものたちを、素手で掬いとって提示する。
その振る舞いがあまりに素っ気ないので、クールな観察者や、微笑みのニヒリストとして扱われかねない。そんな映画作家の本質が、監督第2作で、既に完成していたことに、軽く目眩すら起こしてしまいそうだ。
ホン・サンスは「2」という数字を生きている。
分断も、両立も、パラレルも、シンクロニシティも、すべて、世界を「2」に割ることから始まっている。
多くの作品は構造的に「2」で説明がつくが、「2構造」にはおさまりのつかない映画たちも、たとえば「3」がタイトルに冠された「3人のアンヌ」は、夢と現実、夢と夢、過去と現在、過去と未来と、視点さえ交換すれば、世界は「2」で出来ていることに気づかされる。
「カンウォンドのチカラ」には、前半の女性の挿話と、後半の男性の挿話が「物々交換」されている趣があり、そのことから独特の情緒が生まれている。
起きた現象を追跡しても、人物像を吟味しても、この情緒は掴みにくいだろう。
映像そのものにフェティッシュに耽溺したところで、ホン・サンスの本質は逃げていく。
「もう少し長い呼吸で、待ってみよう」
はたして、わたしたちは、このメッセージにふさわしい観客でいられるだろうか。
これまでとは違う呼吸ができるだろうか。
これまでとは異なる待機ができるだろうか。
宇宙を、摂理を、あたらしくできるだろうか。
それが、問われている。
「カンウォンドのチカラ」
監督・脚本:ホン・サンス
出演:オ・ユノン/ペク・チョンハク
韓国 1998年/109分
原題 강원도의 힘 The Power of Kangwon Province
6月12日(土)より渋谷 ユーロスペースにて公開 以降、全国順次公開