聞き手 溝樽欣二
構成 濱野奈美子
自分たちが正しいと思ってることは
本当に正しいのかと思わせてくれます
開催中の「イ・チャンドン レトロスペクティヴ 4K」。今回上映されるのは、イ・チャンドンが制作の原点と人生を語る新作ドキュメンタリー「イ・チャンドン アイロニーの芸術」と今まで発表した長編映画の計7本。
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――「オアシス」は「ペパーミント・キャンディー」に続くソル・ギョング主演の第二弾。
前科者の青年ジョンドゥと、脳性麻痺の女性コンジュの物語です。
ジョンドゥが冬のソウルを半袖のシャツ姿で歩く冒頭のシーン。手持ちカメラが入って、映像がさらにリアルになり、イ・チャンドン監督がこだわる、表現したいところに収まってきた感じがします。最初のバスの昼の明るい日差しの中でガラスにうっすらジョンドゥの顔や街の光景が映るところも手持ちカメラです。
――そのジョンドゥが脳性麻痺の女性コンジュと出会う。タブー視されがちな人物たちを主人公によくここまで描いたと思います。
私たちの時代は近所の駄菓子屋さんで障がい者の方が店番をしていました。学校でも昔は当たり前のように一緒に生きてたのに、いろいろと整備され始めてから、タブー視されたような気がします。でも、障害者を描いた昔の日本映画で思い出すのは、ATG(日本アート・シアター・ギルド)の作品ですね。今は実際の撮影に関して言えば、障害のある方がそのまま演じることが世界のスタンダードになりつつあります。「コーダあいのうた」も耳が不自由な方が演じています。この辺りのことは時代によって変わるので、今後も変わって行くと思いますね。
――周囲の人間の身勝手さ、酷さも描いています。ヒロインのコンジュのお兄さん夫婦は妹を利用して、いい部屋に住んで、その兄さんにお金をもらって面倒を見ている夫婦も実は、ヒロインの部屋に入って好き勝手にしている。ひどい。
お兄さんは障害者住宅のチェックの時だけコンジュを連れて行きますし、レストランでも入店を断られる。最後のジョンドゥが逮捕されてしまうところも、すごく歯がゆい。普通私たちが見ているものと真逆です。それがとてもいいと思いました。ジョンドゥは家族や社会の厄介者ですが、ただただ純粋です。自分たちが正しいと思ってることは本当に正しいのかと思わせてくれます。あのふたりが抱き合うシーン、誰が見てもレイプだと思ってしまうが、二人にとっては違う。私も自分の思いや行動が全く違うように誤解されてしまうことがよくあります。つねづね私自身、世の中は人が見ていることとは全然違うのだということを表現したいと思っているのですが、それを見事にやってのけてくれています。
――ムン・ソリはラブシーンを含め大変素晴らしい演技でした。しかし、イ・チャンドン監督は私たちが「見たくない」シーンをちゃんと描く人ですよね、決して逃げない。
真実を描いているのだと思います。飲み込みやすい、噛みやすいものばかり摂取してると人間は乳歯のまま止まってしまうのではないかと思うことがあります。感覚がおかしくなると思うんです。誇張する必要はないけれど、真実として表現したり、伝えることは、やっぱり必要だと思います。そして見る方も目を背けずにしっかりと見なければいけない。ムン・ソリさんの演技では口紅を塗ろうとするシーンが素晴らしかったです。手がうまく動かせなくてうまく口紅が引けず、表情ひとつ変えないでぽろぽろって涙が出る、とても素敵なシーンでした。
――いいシーンがたくさんありますね。
弟がジョンドゥを迎えに来た時に「俺の人生の邪魔をしないでくれ」と言いますが、その後で笑います。後で分かりますが、お兄さんの身代わりで服役していたわけですから、それは兄弟っぽくてとても良かったです。ジョンドゥの人となりは最初からわかります。真冬に半袖姿で、服を探しているので自分の服を買うのかと思ったら母親へのお土産だった。寒いのだからそれを羽織ればいいのにそれはしない。コンジュに花束を持って行ってしまうのも、正座をして許しを乞うところも、駐車場に置き去りにしてしまったコンジュをすぐに迎えに来るのも、すごく彼らしいです。根は優しくて、人に何かしてあげたい、それだけで生きている。高速道路の渋滞に巻き込まれて彼女を抱き上げて車の外に出るところなんて、これを見て「ラ・ラ・ランド」ができたのかと思いました。彼女は全身で喜んでいて、とてもかわいかったです。
――インドの女性や子供と踊るすごく幸せにあふれた、幻想的なシーンがありますよね。
最後の方で子どもがおそらく飽きてしまって、素に戻っているのがすごく可愛いです。象を追い出しながら退場してしまうのですが、女性は最後の最後まで踊っていて、その綻びがすごくいいなと思って観ていました(笑)
――あらゆるところにディテールがあるんですよね。
最初のところでジョンドゥが学生に小銭をもらおうとしたり、その後も出前の面接で、まだ採用が決まっていないのに「明日からでいいです」と先に言ってしまう。人の話を全然聞いていない。出前のお皿を取りに行った先では人が歌っている歌を真似して歌って怒られる。これでは社会に適応するのは難しいとわかります。お母さんの誕生会にコンジュを連れていってしまうのも、いわゆる空気が読めていないのか。そしてコンジュが何故怒っているのかも気がつかないのが切ないです。
――何とかハッピーエンドになってほしいと思って私たちは見ているのですが、そうならない訳ですよね。
でもこれは「ロミオとジュリエット」だと思います。その幸せ版。拍手を送りたいと思ったのが、最後に木を切る時の彼の笑顔です。本当に素晴らしい。周りの誤解は関係ない、彼女と気持ちが通じていることだけが重要なのです。人間は美しいです。涙が出てきます。
筒井真理子
山梨県出身。早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」で初舞台。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞した「淵に立つ」(16)の演技力が評価され、数々の映画祭で主演女優賞に輝いた。主演作品「よこがお」(19)で芸術選奨映画部門文部科学大臣賞受賞。全国映連賞女優賞受賞。Asian Film FestivalのBest Actress最優秀賞受賞。主な出演作に「クワイエットルームにようこそ」(07)、「アキレスと亀」(08)、「愛がなんだ」(19)、「ひとよ」(19)、「影裏」(20)、「天外者」(20)「夜明けまでバス停で」(22)など。最新主演映画「波紋」が23年5月より全国公開。近年の舞台に「そして僕は途方に暮れる」(18)、「空ばかり見ていた」(19)、COCOON PRODUCTION 2021+大人計画「パ・ラパパンパン」(21)などがある。ドラマ「エルピス-希望、あるいは災い-1」(22)、「大病院占拠」(23)、「ヒヤマケンタロウの妊娠」(23)、「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」(23)「ラストマン-全盲の捜査官-」(23)、に出演。今後も多数公開作品が控えている。書籍「フィルム・メーカーズ ホン・サンス」の責任編集を果たした。A PEOPLE出版の「作家主義 ホン・サンス」、「作家主義 韓国映画」(パク・チャヌクの章)でインタビューが掲載されている。
「オアシス 4K レストア」
監督:イ・チャンドン
出演:ソル・ギョング/ムン・ソリ
原題:오아시스(Oasis)
2002年/韓国/133分
Ⓒ2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.
配給:JAIHO
ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開中