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佐藤結
小説家イ・チャンドンが
最後に世に出した小説集
「ペパーミント・キャンディー」(99)、「シークレット・サンシャイン」(07)、「ポエトリー アグネスの詩」(10)など、韓国のみならず世界の映画史に残る名作を生み出してきたイ・チャンドン監督。
映画監督になる以前の彼が小説家であったことは、韓国映画ファンにはおなじみのことだろう。しかし、民主化を達成した韓国社会で小説という表現に行き詰まりを感じたという彼はある日、書くことをやめ、「自分自身に罰を与えてみたい」という気持ちでスタッフとして映画の現場に入り、97年の「グリーンフィッシュ」で監督デビューを果たす。
今回、韓国での発表から約30年の時を経て邦訳が出版された「鹿川は糞に塗れて」は、小説家イ・チャンドンが最後に世に出した小説集だ。
表題作となる中編「鹿川は糞に塗れて」を含む、五つの中・短編の背景は、軍事独裁政権の厳しい弾圧に抗して民主化を求める活動が続いていた80年代から90年代にかけて。
学生と市民によるデモが続いた1987年の6月抗争の渦中で出会った作家と元農民(「本当の男」)、人生の最後にかつて信じた共産主義に殉じようとする父とそんな彼の態度を受け入れられない息子(「龍泉ベンイ」)、朝鮮戦争によって家族と引き裂かれ孤児として生きてきた男(「運命について」)、必死で働いてマンションを手にした男と彼の人生の価値を揺さぶる腹違いの弟(「鹿川は糞に塗れて」)、ささやかな集会を開いたことで大学を追われ、炭鉱町に流れ着いた若い女(「星あかり」)といった人々が生きてきた厳しい人生と、それぞれが抱える苦い思いが描かれている。
あとがきの中でイ・チャンドンは「私はそろそろ新しく生まれ変わりたい。〔…〕古い衣服を投げ捨てるようにほかの姿に変身したい」と書き、実際に小説を書くことをやめてしまったが、五つの作品を一読して感じるのは、彼がこの後に撮ることになる作品群との響き合いだ。
例えば「鹿川は糞に塗れて」は、そこにあった暮らしを踏み潰して再開発された場所に立つマンションが舞台になっているが、この小説集の5年後に作られた「グリーンフィッシュ」の中でも自宅の目の前に林立するマンション群に足を踏み入れた主人公が、自分たちの家がかつてここにあったと口にする。
また、タイトルにも関係する、開発途中の工事現場のトイレにあふれる“糞”は、「ペパーミント・キャンディー」の主人公の手を決定的に汚してしまった、また別の“糞”を思い出させる。
あるいは炭鉱町の喫茶店で働く女性がいきなり警察署へと連行されていく「星あかり」では、彼女を厳しく取り調べる警察官の描写を読みながら、彼にも「ペパーミント・キャンディー」の主人公のように、そうした人間になってしまうような事情があったのかもしれないと考えてしまう。
さらに、「星あかり」の主人公の名前が「シークレット・サンシャイン」で想像を絶する苦痛を生きることになる女性と同じ“シネ”であることに気づくと、イ・チャンドンは表現の手段を変えただけで、映像によって小説を書き続けているだけなのかもしれないとも思えてくる(ただし、両作品の主人公の名は漢字では“信愛”と“信恵”となり、別の名前であるとのこと)。
一方で、変わらない現実の中で歯軋りをするかのように書かれたであろう小説が、人間の愚かさや狡猾さ、人生の皮肉に焦点を当てた重苦しい読後感を残すのに対し、彼の生み出した映画は、厳しさの中にも、ごくわずかながらも希望につながる光を感じさせる。
もちろんそれは、作家自身の変化の証左であるかもしれないし、より大衆的であることが要求される映画という表現手段の特徴を反映しているのかもしれない。
いずれにせよ、「鹿川は糞に塗れて」という小説集が、イ・チャンドンのフィルモグラフィーの前史であることは間違いない。
鹿川は糞に塗れて
イ・チャンドン(Lee Chang-dong):著
中野宣子:訳
定価2,860円(税込)
発行:アストラハウス
発売中
イ・チャンドン レトロスペクティブ 4K
配給:JAIHO
ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開