最優秀作品賞「アイカ(原題)」
「第19回東京フィルメックス」が閉幕した。A PEOPLE(エーピープル)では、賀来タクト、相田冬二による特別招待作品4本、コンペティション全10本、計14本の作品を「速攻レビュー」という形で連日配信した。最後は、相田冬二による「第19回東京フィルメックス」総括としてのレビュー。
審査員特別賞「轢き殺された羊」
観客賞「コンプリシティ(英題)」
賀来タクトもホン・サンス「川沿いのホテル」レビューで記しているが、ある意味無理矢理な笑いが漏れる様を、朝日ホールの客席で何度か耳にした。映画祭らしいトピックかもしれないが、現代のシネフィルたちの業も感じた。台詞や描写を額面通りに受け取り、我先に「消化」しようとする。画面に宿る痛みは無視して、自虐のほつれにも意識を向かわせず、ただ「速く」作品を手中に収めようとする。そんな特権的な意識の集団化は、映画的な光景とは言い難い。
先日、パリのシネマテーク・フランセーズを訪れて驚いたのは映画観客のかなりの高年齢化だった。おそらく世界的な傾向なのだろう。その点では、東京フィルメックスの観客は充分若いと思うし、可能性はそこにこそあるとも感じる。
映画とは、記憶と夢の相関関係によって織り成されている。記憶が夢をかたちづくり、夢が記憶として定着する。その様を、作品それぞれのスタイルで追跡したり、眺めたりしている。この真実を痛感するラインナップだった。とりわけコンペティション出品作品は。
学生審査員賞「ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)」
スペシャル・メンション「夜明け」
夜や自然の闇をベースに、人工的な光の数々をそこに灯していく。そうすることで、喪失と回復の短い往復が奏でられ、やがて固有のうねりが生じることになる。そのような映像感触の作品が続いた。
最近、若い俳優がわたしに語ってくれた言葉を想起する。「トラウマも、美化も、同じことだと思うんです」。わたしたちの心は現実にデフォルメを施し、「忘れられない記憶」を捏造している。反芻される痛点も、郷愁も、実はきわめて虚構に近い。映画は、そうした心性を浮き彫りにする芸術だ。「幻土(げんど)」も「幸福城市」も「ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)」も、その増幅の反映に思えた。
それだけに「アイカ(原題)」がグランプリに輝いたことは象徴的である。なぜなら、ここでは記憶も夢も決然と無視され、刻一刻と過ぎ去っていく「いま」だけが見つめぬかれているから。夢に依存しない。記憶に耽溺しない。そうした確固たる意志が、動いて動いて動きまわる被写体と撮影に確かに宿っている。決して真新しいタイプの作品ではない。ただ、この潔さには、映画のこれからが示されていると思う。「アイカ(原題)」は観客に笑わせる余裕を与えなかった。光さえない。ただ、天から雪が降り続いていた。
Written by:相田冬二
<第19回東京フィルメックス受賞一覧>
▼最優秀作品賞:「アイカ(原題)」
▼審査員特別賞:「轢き殺された羊」
▼観客賞:「コンプリシティ(英題)」
▼学生審査員賞:「ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)」
▼スペシャル・メンション:「夜明け」
A PEOPLE 第19回東京フィルメックス 速攻レビュー
<特別招待作品>
「川沿いのホテル」
「あなたの顔」
「草の葉」
「アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト(原題)」
<コンペティション>
「夜明け」
「象は静かに座っている」
「幻土(げんど)」
「幸福城市」
「轢き殺された羊」
「マンタレイ」
「シベル」
「自由行」
「ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)」
「アイカ(原題)」
昨年の東京フィルメックスで上映
「台北暮色」11月24日よりロードショー