「第19回東京フィルメックス」。A PEOPLE(エーピープル)では、連日、上映作品をレビュー。今回は、コンペティション作品「アイカ(原題)」(ロシア、ドイツ、ポーランド、カザフスタン、中国)。
「身体を張って」という言い回しがある。たとえば女優がヌードになったときなどに用いられる。陳腐なクリシェ(紋切型)だと思うし、できるだけ使いたくないことばではある。
だが、この映画にはふさわしいと思う。侮蔑ではない。これは「身体を張った」映画であり、「身体を張る」とはどういうことかを体感させ、また問いかける内実を有している。
赤子を産み落とした女性が、産院に我が子を置き去りにして、逃走。借金を返すために、職探しに奔走する。その五日間を、問答無用の活劇として追いかけていく。
子供を産むということそれ自体が「身体を張る」行為であり、その延長線上に主人公すべての行動が存在している。ことばをほとんど介在させずに、ただただ動き回る彼女。つまり、ここには、言い訳が一切ない。最終盤で、それなりの吐露も描かれるが、それは言い訳ではない。言い訳なしに行動するヒロインに、「なぜ」を与えず、「だから」という逃げ場も用意せず、言ってみれば、真っ白な状態で、ただただ前に進んでいく様を凝視する。
舞台は冬。産後間もないため、彼女の身体は普通の状態ではない。具象的にも、抽象的にも、血まみれである。血まみれの冬。孤立無援のはずの彼女だが、衝き動かされるような情動のありようが、理屈を超えた温度を映画にもたらしている。
それをガッツと呼ぶのは、おかしなことかもしれない。だが、言い知れぬ熱血を感じた。そして、この熱血は、わたしが「身体を張る」という表現に抱いていた違和感を完全に払拭させた。
きっと、だれもが、身体を張って生きている。それは讃えるべき特別なことではないかもしれない。だが、そうやって活動している。この映画の熱血は、そのことを知らせる。
女性映画だとは思わない。これは人間映画である。
Written by:相田冬二
「アイカ(原題)」(ロシア、ドイツ、ポーランド、カザフスタン、中国)
Ayka
監督:セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ
配給:キノフィルムズ
A PEOPLE 第19回東京フィルメックス 速攻レビュー
<特別招待作品>
「川沿いのホテル」
「あなたの顔」
「草の葉」
「アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト(原題)」
<コンペティション>
「夜明け」
「象は静かに座っている」
「幻土(げんど)」
「幸福城市」
「轢き殺された羊」
「マンタレイ」
「シベル」
「自由行」
「ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)」
「アイカ(原題)」
昨年の東京フィルメックスで上映
「台北暮色」11月24日よりロードショー