「第19回東京フィルメックス」。A PEOPLE(エーピープル)では、連日、上映作品をレビュー。今回は、コンペティション作品「ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)」(中国、フランス)。
このビー・ガンという男は、大それた野心の持ち主なのか。それとも、きわめて古典的な資質の持ち主なのか。誇大妄想狂なのか。あるいは、小心者なのか。
とんでもない大作ではある。だが、大画面にふさわしいはずのスケールの大きな映像は、実のところ箱庭のようであり、ミニチュアの拡大図にも思える。ダイナミズムが、ない。それは欠けているのか、意図的に排されているのかも、判別がつかない。
伽藍堂を描きたいのか、結果的に伽藍堂と化しているのか。主人公にはまったく興味は抱かないが、映画の作り手の深層にはわけもなく、ぐいぐい引き込まれる。もし、このことがあらかじめ画策されていたものだとしたら、とんでもない監督ではある。ブラックホールのようなナルシシズム。
ネオンサインとモノローグ。この組み合わせが、今回の東京フィルメックス上映作品には、やけに多い。それは近年の作家映画の傾向なのか。それとも、意図的なセレクションによるものなのか。いずれにせよ、似たテイストの映画を何本か観てきたあとに、本作に辿り着くと、気怠い袋小路にはまり込む。やはり、すべては、計画されていたことなのではないか。そんな妄想に密閉される。
この映画は3D映画ではありませんが、主人公と一緒に眼鏡をかけてください。人を食ったような冒頭のテロップ。言われた通り、わたしたちはあるとき、3D眼鏡を装着する。なにが起きるかと期待しながら。
思えば、その瞬間が最高に映画的ではあった。映画に共感したり、映画に魅入ったりするのではなく、映画に「指示される」よろこび。言いかえれば、映画に「支配される」愉悦。
結局のところ、わたしたちが求めていること、望んでいることは、その程度のことでしかない。
なにが起こるか。
なにかは起こる。だが、なにも起こらなかったと言うこともできる。それはそれでいい。なぜなら、これは映画なのだから。
映画に跪き、映画に欲情することの本質を、このビー・ガンという男は、おのれの身体を捧げながら、トレースしようとしていたのかもしれない。
その、大きくもあり、小さくもある、ドン・キホーテ的な振る舞いを前にして、あらすじを綴ったり、映像技術を追跡したりするほど不毛な行為もない。
旅は勝手にはじまり、勝手に終わる。わたしたちは同行していたのか。取り残されたのか。いまは、その判断さえ、どうでもよい。
Written by:相田冬二
「ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)」(中国、フランス)
Long Day's Journey into Night
監督:ビー・ガン
配給:リアリーライクフィルムズ / ガチンコ・フィルム / シネフィル
A PEOPLE 第19回東京フィルメックス 速攻レビュー
<特別招待作品>
「川沿いのホテル」
「あなたの顔」
「草の葉」
「アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト(原題)」
<コンペティション>
「夜明け」
「象は静かに座っている」
「幻土(げんど)」
「幸福城市」
「轢き殺された羊」
「マンタレイ」
「シベル」
「自由行」
「ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)」
「アイカ(原題)」
昨年の東京フィルメックスで上映
「台北暮色」11月24日よりロードショー