*

A PEOPLE CINEMA

相米慎二監督映画祭り2023

text
金原由佳


相米さんって、映画作りで
迷子になることを喜んでいたよね

ある地方の開催の映画祭は珍しくない。だが、一人の監督の名前を冠とし、その作品を年に一本ずつ上映し、地域の住民にその監督のことをじっくりと知ってもらい、町の財産として、後世に伝え継ぐことを目的とした映画祭は世界中を見回してもそうないのではないだろうか。

青森県田子町が2014年から毎年8月に開催している「相米慎二監督映画祭り」である(第4回のみ、9月に開催)。

相米慎二は岩手県盛岡市生まれ、子供時代に北海道に転居し、標茶町、札幌市、釧路市などを転々とした。中央大学への進学で上京し、長い間、荻窪で暮らしたことは広く知られている。これがプロフィールに出てくる表の経歴だが、父親の故郷であり、親戚(や高校時代の同級生)の暮らす青森県田子町には生前、足繁く通い、村の人には随分と大切にされていたという。

生涯独身を通し、2001年9月9日に逝去した後、相米家のルーツである相米集落がある青森県田子町の先祖代々の墓で眠りについた。2013年、13回忌を機に、「映画監督相米慎二をしのぶ会」が初開催され、町内外からファンや関係者ら約70人が献花に訪れた。その日その場で参集者の賛同を得て「映画監督相米慎二を語りつぐ会」が結成され、相米監督について語り継いでいこうという気運が高まったことから、2014年、「セーラー服と機関銃」の上映を皮切りに、第一回「相米慎二監督映画祭り」が開催されるに至った。

田子町は、青森県の最南の町で、南は岩手県、西は秋田県との境に接する。東北新幹線二戸駅から田子町の間には、座敷わらしで知られる岩手県金田一温泉があり、青森県の十和田湖には一時間ほどの距離。全国的に知られる田子にんにくと田子牛の産地であり、人口は令和2年国勢調査で4,968人。昭和には町に3館の映画館があった時代もあったというが、今はない。田子町は相米慎二を通じて映画文化と触れ合う土壌を育むことを目的としており、その活動を支えるのが歴代の相米作品に関わったスタッフとキャストだ。

長年、助監督を務めた榎戸耕史監督や、冨樫森監督をはじめ、脚本家の田中陽造氏、俳優の寺田農氏をはじめ、関わった作品の上映のときは田子町を訪ね、素顔の相米慎二についてざっくばらんと語る。生前、映画監督とスタッフ、映画監督と俳優ではなく、肩書を取っ払った付き合いをしていた相米だからこそ継続出来ている映画祭りとも言える。

コロナ禍での休止をいれて8年もの開催を続けてきた田子町の山本晴美町長は「相米監督がこの町で直接映画を作っていたわけではないのですが、8年かけて、どういう人だったのか、どういう作品を作ってきたかの土壌は広がっている実感はあります。私としては長回しという独自の方法論で俳優さんたちから表現力を引き出し、魅力を映像に収めてきた映画監督だと感じています。もちろん、大嫌いだったという方もいらっしゃるでしょうが、映画祭りに参加する方たちからは思い出深い話がでてきて、それをトークイベントとして伺える会が設けられているところが、この映画祭りのいいところではないかと思っています」と語る。

さて、2023年の上映作品は1994年に公開された「夏の庭 The Friends」。東宝、松竹、角川(現KADOKAWA)など大手映画会社の制作を経て、長谷川和彦の旗振りの元、志を同じくする映画監督たちと作った映画制作会社ディレクターズカンパニーでの映画づくりに参加。「光る女」「台風クラブ」「ラブホテル」「東京上空いらっしゃいませ」を発表した相米だが、1992年にディレクターズカンパニーが倒産。彼の映画作りの基盤が揺らいだときに現れたのが、「東京上空いらっしゃいませ」で初の映画企画、プロデュースを手掛け、CF界から映画界へと進出していたエンジンフィルムの代表、安田匡裕である。

安田が大阪の読売テレビと組んで製作したのが「お引越し」と「夏の庭 The Friends」で、相米の作風に転機をもたらした人物とも言える。また、安田は相米との映画作りを経て、その後、二人の若い才能の発掘、育成に力を注ぐこととなる。それが是枝裕和と西川美和。二人はその後、日本映画界を支える屋台骨となっていくが、その最初の芽の部分で、安田を通して、相米の映画作りが次世代の養分となっていた事実は見逃せない。

さて、こういう背景もあり、2023年の「夏の庭」のトークイベントには、榎戸監督、冨樫監督、映画に出演している俳優側として寺田農、柄本明に加え、安田の後にGMOエンジンを引き継いだ現代表の平川浩司、「お引越し」での取材がきっかけで「夏の庭」の撮影現場に密着した映画ジャーナリストの金原由佳の6名が登壇した。

榎戸が、ディレカン後の相米が、安田を通してグリコのポッキーの仕事などCFの演出を多く手掛けることによって、CF界のクリエイター、スタッフとの人脈を増やし、「人生の後半機期に差し掛かり、今までのやり方を自分でも変えていた時期で、人間的にも変化していた。CFを撮ることで経済的に以前より安定し、人に優しくなっていた時期(笑)」と説明。実際、グリコのポッキーのCMで、吉川ひなの、鳥羽潤、奥菜恵、安藤政信といった当時、10代、20代の若い俳優と組んでいるとき、平川には「映画監督の若い世代を育てたい」とかなり早い段階から提案していたといい、それは「ポッキー坂恋物語 かわいいひと」(1998)でプロデューサーに回り、村本天志、冨樫森、前田哲の3人にオムニバス映画を撮らせた成果となっている。

平川は、自身がプロデュースするCMで、自身が他用で離れたとき、相米がその日、自身の判断で撮影を休止していたことを後で知り、予算的な意味合いからなぜ、と問いただしたとき、起用したアイドルが体調不良で疲れ果てているのを見て、CMであろうと、俳優の感情が温まらないうちはカメラを回さないという従来のやり方を、天然の人たらしで、ゆるりと押し通したエピソードを披露。「厳しく演出するときはしますが、こうやって人を育てていくんだなと感じました。私自身も育てられて今に至っているのですが」。

相米の演出がいぜんとかわったことに関しては、「ラブホテル」に助監督として参加していた冨樫が、「夏の庭」が読売テレビの制作であるため、きちんとメイキングの記録が残っていて、その撮影中の演出を観ると、子供たちに自身の役の状況や心情を自身で発見し、つかむために、徹底的に会話を重視し、細やかにやりとりをしていることに着目。

「それまで、相米さんの現場では聞いたこともないような説明を一生懸命、男の子3人にしていて、 相米さんも随分変わったなと思ってみました。細かく動きから説明して、カメラに対して顔はこっち向いて、ここまで喋るんだと指示も明確で、それ以前には全くなかったことなんですよね」

相米作品に最多出演の寺田は、主演を努めた「ラブホテル」もあるが、出演したのに編集の段階でカットされ、完成作から影も形もなくなっている作品があり、「俺はそれで3回、絶交しているから」と大笑いしながら、「夏の庭」では冒頭とラストの、主人公の小学生3人がサッカーの試合に出る場面での「絶対切られない審判役」を選んだこと、発足当時のJリーグの協力を得て、本物のユニフォームを着ていること、そして1997年の阪神・淡路大震災で様変わりしてしまう、1992年の神戸の風景が全編におさめられていることを披露。

それを受け、金原が、相米が主人公の3人の少年と同じ目線を獲得するためか、撮影場所を探すという意味合いでのロケハンではなく、そのまちに暮らす当事者としての土地勘と地図を自身の感覚として入れていく作業に時間を費やしていたことを話した。5月に制作部とは別に事前に単独でロケハンし、街を遊び、練り歩いた結果、夏の撮影時には、親しくなった神戸三宮の小料理屋を営む夫婦から北野町のマンションを借り受け、周辺の住民とコミュニティを作っていた。仮住まいではわからない土地との関わり方は、その前の「お引越し」の京都の撮影でも強固だったことは榎戸の証言でもわかる。

柄本が「夏の庭」に参加したのは、「セーラー服と機関銃」のときと同じく、ある日、突然、相米から電話があり、「今暇? 何しているの?」という直電から始まったという。榎戸は、作品のアクセントとなる難しい役のとき、助監督が何人名前をあげようと怪訝な顔をして、首を振らず、最終的にはかねてから知っている柄本さんに直接電話していたと回顧。

「夏の庭」で、死に興味を持った小学6年生が、近所のあばら家に暮らす傳法(でんぽう)喜八という老人に白羽の矢を立て、老人がどういう死に方をするのか、ひと夏、観察する物語で、老人の抱える孤独に触れた少年たちは単なる興味を超え、老人の境遇に身を寄せ、交流を深めていく。

柄本は、三國連太郎演じる喜八と同僚ともいえる関係の、納棺の仕事に携わる者であるが、「これが脚本を読んだだけでは、どういう仕事はわからないし、説明もないから、実は今もわからない。自分では役所関係の仕事の人と思っているんだけど」と笑う。相米が若い演者に説明せず、「自分で考えろ」とよく話していたのは広く知られるけれど、これはベテランにも課していたことだったのだ。

さて、そんな相米の演出について、寺田が面白い私見を披露した。

ある上映会に参加したとき、「夏の庭」のテーマとして死に関する質問が続いた中、中学生と高校生から挙手があり、「『ラスト、喜八が死んだとき、よく見ると、演じる三國連太郎さんのお腹が死んでいるにも関わらず、呼吸で動いている』と指摘があり、相米が苦い表情で俺になにか言えっていう顔をするので、『君の指摘は質問としてすごく良い。テーマとか、死とかの話が続くよりよっぽどいい。正しい。でもね、役者は本当には死ぬわけにはいかない、温かい目でみてくれ』と言ったという話で会場が大爆笑の渦となったあと、榎戸が、ラッシュの段階で「三國さんのお腹が動いているのはみんなわかっていて、そこだけ観ると、喜八、死んでいないとなる。先日、ニューヨークで『ションベン・ライダー』と『台風クラブ』のこの9月から配給するシアターギルドのエドワード・マッカリー氏からのインタビューでも、『映画はもちろん、すべてフィクションだけれど、相米作品につきまとうフィクションっぽさ、いわゆる嘘っぽさ、いわゆるリアルリアリズムを追求しないことについて、彼自身はどう考えていたのか』と聞かれたんだけど、相米さんの映画って、フィクションはフィクションとして全部さらけ出す。役者が死んでないのはみんな知っている、だから、死んだつもりで見てくださいっていうのが相米さんの映画。相米さんは、役者の心情、感情の真実みたいなものだけを映画の本質としてとらえて、スクリーンにうつそう描こうと思っていたのではないかと説明をしました」と言葉を補足した。

これがトークイベントの最後の話となったが、登壇する直前、柄本明がこう呟いたことにも、相米が映画作りで手を伸ばそうとしていた方向性はわかるのではないか。柄本はこういった。

「相米さんって、映画作りで迷子になることを喜んでいたよね」

*

台風クラブ 4Kレストア版
監督:相米慎二
出演:三上祐一/紅林茂/松永敏行/工藤夕貴/大西結花/三浦友和
(1985年/115分)
(C)ディレクターズ・カンパニー
製作:ディレクターズ・カンパニー
提供:中央映画貿易/ダブル・フィールド
配給:A PEOPLE CINEMA

2023年9月23日(土)よりユーロスペース他にて全国順次ロードショー
ユーロスペースにて、9月23日(土)は工藤夕貴(女優)、10月11日(水)は黒沢清(映画監督)のトークイベントがあり
https://www.apeople.world/taifuclub/#event

*

作家主義 相米慎二2023 台風クラブ シナリオ完全採録
発売日:2023年9月9日(土)、アマゾンほか一部書店にて発売
*SHIBUYA TSUTAYA(4F・6F)、A PEOPLE SHOPにて8月29日(火)より先行販売
定価:2,200円(税込)
発行:A PEOPLE
A PEOPLE SHOP


<関連記事>
A PEOPLE CINEMA/黒沢清「台風クラブ 4Kレストア版」トーク・イベント
A PEOPLE CINEMA/「台風クラブ 4Kレストア版」
people/工藤夕貴「台風クラブ 4Kレストア版」
A PEOPLE CINEMA/「台風クラブ 4Kレストア版」inニューヨーク
A PEOPLE CINEMA/相米慎二監督映画祭り2023
A PEOPLE CINEMA/台風クラブ、9月8日(金)よりニューヨークにて公開
A PEOPLE CINEMA/台風クラブ 4Kレストア版 トーク・イベント 工藤夕貴、黒沢清の出演が決定
A PEOPLE CINEMA/作家主義 相米慎二2023 台風クラブ シナリオ完全採録
A PEOPLE CINEMA/作家主義 相米慎二2023 台風クラブ 4Kレストア版
A PEOPLE BOOKS/作家主義 相米慎二2023 台風クラブ シナリオ完全採録

フォローする