*

photo:丸谷嘉長

people

市山尚三
第34回東京国際映画祭(2021)

text
夏目深雪


アジア映画ファン注目のプログラムに

17年ぶりにプログラミング・ディレクターの交代があった東京国際映画祭(以下TIFF)。アジア映画に特化した映画祭・東京フィルメックスのディレクターを21年間務めた市山氏が新ディレクターに就任した。2019年にTIFFのチェアマンとなった元国際交流基金理事長の安藤裕康氏とともに、改革を推し進めてきた市山氏にインタビューを行い、その意気込みと今年のTIFFの傾向を伺った。

――ご自身が立ち上げた映画祭・東京フィルメックスの存続の危機から一転、古巣であるTIFFに戻られるとは意外な展開でしたが、どういった経緯だったんでしょうか。

去年安藤チェアマンから話があったのは、TIFFとフィルメックスと一緒の時期にやろうということと、TIFFの選定委員会(コミッティ)に入ってくれということでした。それで去年はフィルメックスをやりながらTIFFの作品選定にも関わっていました。

今年になって、全体を統括するプログラミング・ディレクターをやってくれという話を頂きました。どうして受けたかというと、僕はフィルメックス、2000年からだからもう21年やっていたんですね。ヨーロッパの映画祭なんかだと5年契約だったりして、ディレクターとともに映画祭も変わっていく。21年もずっと同じ人間がやっているというのは異例で、どこかで後進に道を譲らなければいけないと思いながらやっていたんです。勝手に、20回くらいが区切りだろうと思っていたら、19年にオフィス北野が退散という感じになって、僕が理事長も引き受けてやらなければいけないような形になって、辞めるに辞めれなくなってしまった。

その危機を乗り越えた後にそういった話が来たので、ちょうどその時期が来たのかと。フィルメックスの新しいディレクターは神谷直希といって、一回目から僕のアシスタントをやってくれているんですが、彼にやりませんかと聞いたらぜひやりたいということでした。それで彼にフィルメックスを任せて僕はTIFFをやることにしたという経緯です。

――でも本来は、TIFFの方もどんどんバトンタッチしていかなければいけないわけで、今回TIFFの方は後進というより年齢的には上がってしまったわけですよね(前ディレクターの矢田部吉彦氏は66年生まれ。市山氏は63年生まれ)。

そうなんですよ。なのでどうして僕に話が来たのかというのは安藤さんに聞かなければ分からないんですが、僕としてはコンペだけだったら受けなかったと思うんです。全体の統括ということで、面白いかなと思ったんですね。

一つには、特別招待作品というのを整理した方がいいとずっと思っていたんです。あの部門が、TIFFの見え方をすごくいびつにしている感じがした。1990年代にTIFFを運営していたのは、東映・東宝・松竹・大映ですけど、それぞれ自社のこれから配給する作品を持ち寄って上映する。いい作品ならいいんですけど、映画祭でやるような映画ではないものも入っていて、まぁ賑やかしだからいいじゃないかと。僕がTIFFでアジア秀作週間の作品選定をしていたのは1992年から99年までですけど、その頃からそうで、ずっとなんとかした方がいいんじゃないかと思っていました。

――市山さんはTIFFが嫌になって辞めて、ご自分の映画祭(フィルメックス)を立ち上げたんでしたよね。

僕は松竹からの出向で、アジア秀作週間、のちにシネマプリズムという名前になりますが、その部門の作品を選定していたんです。ところが、98年に松竹を辞めた途端、各社代表で集まっている委員会に招集されなくなりました。形式的なものですが、事務局で決めたものを委員会で承認するという形を取っていたんです。99年にブレッソンとかアモス・ギタイとか4つくらい特集を組んだんですけど、この特集はなんだ、やめられないのかという話になったとかいう連絡があって。僕が「そんなことをすると大問題になりますよ」と言ったんで、結局やったんですけど。後から聞いたら、僕が松竹を辞めたことによって立場が変わったということでした。僕が決めたことでも、委員会でひっくり返ることはあり得ると。じゃあちょっとできませんということで辞めたんですね。

――安藤チェアマンはTIFFを変えたいということで、その辺りのご意見が一致したということでしょうか。そういった内向きな、特別招待作品が自社の映画ばかりだというようなところも含めて。

そうですね。安藤チェアマンとはずっと、ヴェネチアやカンヌなどに行ってお会いする度に食事をしていたので、その辺りの話はしていました。方向性がほとんど同じだったので、だったら自分がやる意味はあるかなと思いました。

――ただ、フィルメックスはご自分の理想を追求できてきたんでしょうし、TIFFの統括というとアジア映画だけではないですよね。愛着のようなものはなかったんでしょうか。

愛着は勿論あるんですけど、神谷君がいたからですね。ずっと一緒にやっているので趣味は分かっていますし、信頼できる。微妙に僕と違うものを選ぶかもしれませんが、そんなに大きくブレることはないだろうと。

――特別招待部門はガラ・セレクションと名前を変え、本当にガラッと雰囲気を変えましたね。今年はアピチャッポン・ウィーラセタクンの「メモリア」などアート系の話題作があり、またインドの話題作「ジャッリカットゥ 牛の怒り」のリジョー・ジョーズ・ペッリシェーリの新作や、ソイ・チェン(鄭保瑞)の新作など公開が決まっていない作品も入っていますね。変えるのは大変でしたか? それとも、安藤チェアマンもそういったお考えなので、「そうですか」みたいな感じだったんでしょうか。

今年はたまたまかもしれませんが、日本のメジャー各社に自社の映画で出したいものがあまりなかったようで、あまりその件で苦労することはありませんでした。

――出てきたラインナップはアジア映画ファンをがっかりさせないものになっていますね。まずコンペに関してですが、日本映画を入れなくても15本中8本がアジアです。日本を入れると10本。確か国際映画祭としての規定で、全地域から万遍なく入れないといけないという縛りがあったかと思うんですが……。

それがないんですよ。確かに今までのコンペは地域を万遍なく入れていたようですが、今回僕は国際映連の規約を読み直してみたんですが、そんな規定は全くありませんでした。プレミアの規定もないんですよ。

――プレミアは勝手にやっているんですよね。市山さんはかねてからプレミアに拘わるよりも、いい作品をかける方が観客のためになるのではと仰っていました。矢田部前ディレクターが、映画祭のランクを上げるためにはプレミアに拘るべきだという考えでした。地域の縛りもないというのは驚きですね。対外的なイメージのためにやっていたということでしょうか。

そうだと思います。プレミアに関しては、確かに90年代は他の映画祭のコンペに出たものは駄目だということがありました。なので他の映画祭を調べながらやっていたんです。 2002年にTIFFで「シティ・オブ・ゴッド」など3本くらい、他の映画祭のコンペに入っていることが分かったんで、規約違反で出品を取り消すという騒ぎがあったんですよ。監督なんかもう来てる人もいて、来てびっくりみたいな(笑)。昔は本当にその辺り厳しかったんです。

その後、スペインのプロデューサーがFIAPF(国際映画製作者連盟)のチェアマンになった時に、大幅に緩くなったらしい。おそらくその騒ぎの起こった直後だと思いますが。僕もプロデューサーだから分かるんだけど、別に賞なんて2つも3つも獲ったっていいでしょと(笑)。それまではもっと官僚的にやっていて、映画祭にも指導なんかしたりしたんですが。

それ以降は各映画祭が自分たちで規約を作り、提出するような形を取っています。その後、承認が来るんですが、大体OKで。今年TIFFは規約にあったアジアン・プレミアというのを止めました。日本プレミアであればOKということで。

――でも結果として全てアジアン・プレミア以上ですよね。

そうなんです。ただ、これは結果としてそうなったということです。意外と集まってしまって。

TIFFの作品選定は、時期的に大体ヴェネチアやサン・セバスチャンやトロントと同じようなものを対象とします。ヴェネチアに入るものはヴェネチアに行ってしまうと。ただ今年のヴェネチアを見るとアジア映画がすごく少なかったんですね。それは何故かというと、ここ数年の傾向で、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」以降なんですが、ヴェネチアに出るとアカデミー賞に繋がるということで、ハリウッド映画がたくさん出すようになったんです。あとNetflixの作品はカンヌのコンペでやらないんで、それも全部ヴェネチアに行く。TIFFでも上映するソレンティーノやカンピオンの映画がそうなんですが。欧米の映画が大量に入ってアジアが弾き出されている感じはここ数年あったんですね。

――私が予備審査員を務めていた時は(筆者は08年から20年まで予備審査員を担当)、釜山によく取られたりしていましたけど。

今回釜山が全然取ってないんです。理由ははっきり分からないんですが、今回ワールド・プレミアで取れたアジアの作品って、セールス・エージェントがついていないんです。その前の段階で、監督やプロデューサーに直接交渉している。釜山はエージェントがついたものをごそっと取っていっている感はある。

――アジア映画ファンにとっては映画祭でお馴染みの名前が多いですね。ミカイル・レッド、アソカ・ハンダガマ、バフマン・ゴバディ、ブリランテ・メンドーサ、ダルジャン・オミルバエフ、昨年のフィルメックスでグランプリを受賞したヒラル・バイダロフ、あとフィルメックスでお馴染みのペマ・ツェテンがプロデュースした作品もありますね(ジグメ・ティンレー監督の「一人と四人」)。この辺りは意識的に?

面白い作品だったからというだけですね。個々の作品については言えないんですが、実はヨーロッパの映画祭から声がかかっていて断ってくれたものがいくつかあるんです。ヴェネチアに選ばれたら勿論ヴェネチアに出すんだけど、それ以外の映画祭だったらTIFFに出すという判断ですね。

――それは市山さんだからというのもあるんでしょうか。

原因が僕なのかTIFFなのかはちょっと分からないですけどね。監督がTIFFに出したがって、プロデューサーを説得したというようなことはありました。

――近年、ペマ・ツェテン、ソンタルジャなどチベット、そしてオミルバエフ、バイダロフと中央アジアの映画の勢いが目覚ましいものがあります。その辺りコンペによく出てますね。

中央アジアに関して言うと、カザフスタンはちゃんと映画産業があって毎年応募もあるしクオリティの高いものが来るんですけど、アゼルバイジャンは今まで出資する人がいなくてほとんどありませんでした。バイダロフは前作「死ぬ間際」もそうでしたが、またカルロス・レイガダスがプロデューサーなんですよ。これはタル・べーラが設立した映画学校があって、僕も日本映画史を教えにサラエヴォまで行ったことがあるんですが、バイダロフはそこの生徒でした。その前にレイガダスが教えに来ていたらしくて、そこで知り合ったんだと思います。

――中国も、本土は駄目で、チベットがいいという感じですか。

中華圏は今年はいい作品がなかったですね。中国本土も全然駄目でした。

――プレミアに拘ったことと地域の縛りで、統一感がなかったのと監督の知名度不足が今までのTIFFコンペの問題点だったかと思いますが、その辺りはクリアしているのかなと思います。来年以降もこの路線で行かれるんでしょうか。

来年もプレミアがここまで確保できるかというのは来年になってみないと分からないですね。

――コンペにこうアジアが多いと「アジアの未来」という部門との差別化も気になります。まぁ、「アジアの未来」は長編3本目までなので新人、コンペはベテランということなんでしょうけど。「アジアの未来」に今年から日本映画が入ることによって、余計似てきてしまっている気がします。

「アジアの未来」に日本映画を入れたのは、部門担当でもある石坂(健治)さんとも話して決めたことなんですけど、今まで日本映画は「日本映画スプラッシュ」という部門がありましたが、日本映画の中だけで賞を獲って盛り上がって終わりという感じだったと思います。

僕はフィルメックスでも第1回目からコンペに日本映画を入れていました。たいした映画がないと思う時でも入れてたんですが、そうすると、日本の監督が、自分の映画と競うんだということで、コンペの他の映画を観るわけですね。そうすると刺激を受けるということを監督たちから聞いている。日本の監督に、ぜひ日本国内だけで争うのではなく、海外を目指してほしい。

――仰っていることは分かるんですが、アジア映画ファンから見ると、特集上映が今まで「クロスカットアジア」があって、東南アジアの作品を纏めて見せていたのと、「ワールド・フォーカス」の中で台湾特集のような小特集もあったと思います。フィルメックスでも毎年アジアの監督だったわけではないですが、キン・フー(胡金銓)監督特集などクラシックの特集上映がありましたね。

今年はスクリーン数が大幅に減って、特集上映をやる余裕がなかったということに尽きます。来年以降スクリーン数が確保できたら、やった方がいいとは勿論思います。

――今年は特集が吉田恵輔監督、田中絹代と日本映画推しの印象ですね。海外にTIFFを押し出していく戦略かとも思いますが。

それはやっぱり当事国なので。釜山映画祭に行くと韓国映画を沢山やっていて、カンヌに行くとフランス映画を沢山やっているのと同じだと思います。映画祭の役割って2つあって、まずは日本の観客に何を見せるか。次に、海外の人たちにどうアピールするかということですね。選択しなければいけない時は後者が優先されると僕は思います。特に吉田監督は海外でほとんど知られてないので。

――海外勢はコロナ禍で来日は難しいのでは?

オンラインで映画祭プログラマー、バイヤーやセールス・エージェントの方は観られるようになっているので、その人たち向けですね。

――また、フィルメックスとの差異化も気になりますね。コンペの10本を見るとほとんどフィルメックスのコンペみたいです。この辺りはどうお考えですか?

いや、フィルメックスのラインナップを見てもらうと、僕だったら入れてない作品もありますし、逆に僕がフィルメックスで上映した方がいいと思ってフィルメックスに譲った作品もあります。

――お伺いした限りあまり違いがない気がしますが……。

傾向が全く違うものが入るということはないですね。逆に言うと、TIFFとフィルメックスと両方観るとアジアの主要な映画は全て観れますよ。

――映画祭の今年の作品の傾向を一言で言うと。
今年は、闘う女性の作品が多いですね。コンペの半分以上が、女性が主役です。#Mee To以降、女性が主人公の映画が増えているので、その影響もあるかと思いますが。

――それは楽しみですね。本日はどうもありがとうございました。

アジア屈指のプロデューサーでもある市山氏のコネクションと実行力で、もちろん安藤チェアマンのご意向もあるのだろうが、改革は順調、好調な滑り出しかと思われる。

だが、これは石坂氏のインタビューでの発言で「映画祭は人材育成の場」というのが最初に来ることに違和感を持ったこともあるので、市山氏に限ったことではないのかもしれないが(石坂氏も日本映画大学の学部長と映画人育成の責任者でもある)、どうも日本の監督に過保護過ぎるような気がした。

エドワード・ヤンへの思慕を隠さない空族、サラエヴォまで単身映画を勉強しに行った小田香監督、そういった映画を観る眼力、日本を超える行動力も監督の実力のうちではないだろうか。

映画祭の最大の魅力と言えば、「今まで観ることが難しかった」作品がスクリーンで「再発見」されること、正当な評価を得ていなかった監督の「読み直し」ができる上映ではないだろうか。

今年の特集上映がそういったものかというと疑問が残るし、鶏が先か卵が先みたいな話になりそうだが、日本の監督を手厚く保護するより、ガツンと脳天一発みたいな映画を上映する方が効果的なのではという気もする。

TIFFは特にアジア映画に関し、キム・ギヨン特集、エドワード・ヤン特集など、シネフィルを狂喜させるだけでなく、内外の監督たちにも多大な影響を与えた特集上映を何度か実施できている。

プログラマーの能力は決して「眼力」だけではなく、そういった歴史を見据える視点と上映にこぎつける実行力にあるだろう。

アジアに弱さはあるものの地域的にはほぼ全方位行ける筋金入りのシネフィルで、その公正かつ鋭敏な感覚でフェミニズムやLGBTにも明るかった矢田部前ディレクターは残念ながら昨年で退任となったが、上記の特集上映を企画した石坂氏はまだ籍がある。今後の有意義なコラボレーションを期待したい。


市山尚三(いちやま しょうぞう)
1963年生まれ。松竹、オフィス北野をベースに主に海外の映画作家の作品をプロデュースする。主な作品にホウ・シャオシェン監督の「フラワーズ・オブ・シャンハイ」(1998)、カンヌ映画祭審査員賞を受賞したサミラ・マフマルバフ監督の「ブラックボード」(2000) 、カンヌ映画祭脚本賞を受賞したジャ・ジャンクー監督の「罪の手ざわり」(2013) 等がある。また1992年から1999年まで東京国際映画祭の作品選定を担当。2000年に映画祭「東京フィルメックス」を立ち上げ、ディレクターを務めた。2013年より東京藝術大学大学院映像研究科の客員教授。2019年、川喜多賞受賞。2021年、東京国際映画祭プログラミング・ディレクターに就任。

第34回東京国際映画祭
10月30日(土)~11月8日(月)
日比谷、有楽町、銀座エリアにて開催


<関連記事>
review / 第21回東京フィルメックス
people / 市山尚三
people / 市山尚三 第34回東京国際映画祭(2021)
people / 神谷直希 第22回東京フィルメックス(2021)
archive / 市山尚三

フォローする