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写真01

A PEOPLE CINEMA

「春の夢」「柳川」「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」の
旅情アイテム

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チョン・ウンスク


チャン・リュルの
映画の舞台を旅する

菊川にあるStrangerで3月31日(金)より「韓国・日本の地方都市を独自の感性で描くチャン・リュル監督特集」が行われる。そこで、韓国の紀行作家チョン・ウンスク氏に上映される3作品、「春の夢」「柳川」「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」の“旅情”について、書いていただいた。

中国朝鮮族のチャン・リュル監督が海外(中国以外)で撮った作品をひとつの言葉でくくるなら、“ほっつき歩き” 映画である。それは理想的な旅の映画とも言える。物語の裏読みなどしなくても、劇場で登場人物の“連れ”になれば、心地よい時間を過ごすことができる。「春の夢」「柳川」「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」の3作品の旅に潤いを与えているいくつかの装置を振り返ってみよう。

■「春の夢」

元ヤクザのイクチュン、脱北者のジョンボム、持病のあるジョンビン。生産性とは縁遠い中年男3人組が、脱北者イェリの飲み屋に入り浸ったり、町を徘徊したりする物語。

装置A タルトンネ(山の斜面にある低所得者層の居住区)

「パラサイト 半地下の家族」では、経済的弱者の住むところとして半地下や地下がクローズアップされたが、韓国ではじつは空に近いところも低所得者層の生活圏だ。空に近いと言ってもタワーマンションなどではない。ソウルや釜山など都市部の山の斜面に建てられた粗末な住宅街、通称「タルトンネ」(月に近い町)のことだ。(写真01 典型的なタルトンネ(観光地化される前の釜山甘川2洞)メイン写真)

「春の夢」の主人公4人が住んでいたのは、ソウル西部、日本の人にもよく知られている弘大入口エリアの北西に位置する水色洞のタルトンネだ。映画の冒頭、やたらと坂道が映ることに気づいた人もいるだろう。水色洞はかつて梅雨どきに漢江が氾濫し水浸しになるなど、生活環境は劣悪だった。朝鮮戦争の傷跡が癒えず、我が国が荒廃していた1960年代。ソウル駅辺りの再開発が始まったとき、そこに仮住まいしていた人たちの多くが水色洞に移住させられている。ソウルや釜山のタルトンネの一部は傾斜地の住宅群がカラフルに塗装され、今やおしゃれなカフェ目当てに若者が集まる観光名所になっている。釜山の甘川2洞はその成功例で、土日ともなると大変な人出だ。

しかし、観光客相手の商売で儲けるのはタルトンネの住人より他所から来た人が多い。住人にとっては騒音、ゴミなどで煩わされることも少なくない。そもそも低所得者層の居住区に物見遊山に来られること自体、微妙ではないだろうか。

どこかもの悲しさがつきまとうタルトンネだが、観光地化が進んでいなければなかなか絵になる場所ではある。ポン・ジュノ監督の「母なる証明」の殺人事件現場は釜山門峴洞のタルトンネで。イ・ハン監督の「ワンドゥギ」の不良高校生や型破り教師が住んでいた多世帯住宅街は京畿道城南市のタルトンネで。キム・チョヒ監督の「チャンシルさんには福が多いね」で食い詰めた主人公が引っ越してきたところはソウル弘済洞のタルトンネで撮影されている。(写真02 ソウル北西部、弘済洞のタルトンネ。映画「チャンシルさんには福が多いね」の撮影地)

写真02

装置B 居酒屋

ハン・イェリ扮する朝鮮族女性が商う居酒屋「故郷酒幕」は、粗末な骨組みにビニールを張った掘っ立て小屋だ。4人は座れそうなカウンター、焼肉屋からの払い下げと見られるドラム缶テーブル3卓、畳二畳分あるかないかの小上がり。

ママが美人過ぎないのがいい。終盤に客としてやってくるシン・ミナのような女性がママだと、トラブルが起きやすい。イェリは貧しいが、小説や詩を好む。ほどよい知性がある。下町の品と言ってもよい。イェリが3人の男たちの前で小説を朗読する場面は日本の人には少しくすぐったいかもしれないが、韓国では珍しいことではない。

イクチュン、ジョンボム、ジョンビンの3人は、「故郷酒幕」に入り浸っている。私は「入り浸る」という日本語の響きが気に入っている。はたして現代人に入り浸る場所はあるだろうか? 韓国にカフェは多いが、店の人との交流は少なく、入り浸る感じではない。SNSに入り浸る人は多いが、顔が見えないだけに言葉が荒れやすい。私の酒場放浪はある意味、入り浸れる場所探しなのかもしれない。(写真03 入り浸るとまではいかないが、筆者が通っているソウルの東のはずれの酒場もどこか「故郷酒幕」に似ている)

写真03

装置C 路上のソファ

イェリの家の庭先(故郷酒幕の脇)には3人くらいが座れそうな大きなソファがある。日本の人には違和感があるかもしれないが、韓国ではよく見る光景だ。粗大ゴミになったものの再利用である。

田舎に行くとバスの停留所脇で野ざらしになっていたり、小さな食料雑貨店の前に置かれていたりする。座っているのはたいていお年寄り。あと何年かしたら、私も路上のソファでおしゃべりしたり、日向ぼっこしたりしているだろう。

装置D 縁台

水色洞のタルトンネにある雑居ビル屋上で南方向を見つめるイェリを、入り浸り男3人組が後ろから驚かそうとするシーンがあった。イェリが見つめる水色駅の向こう側にはデジタルメディアシティ(上岩洞)と呼ばれる企業団地が広がっている。mbc放送局の横長の巨大社屋が4人を通せんぼしているかのようだ。線路を挟んで存在するタルトンネとデジタルメディアシティは残酷なくらい対照的だ。
「あっち側には行きたくねえな。人間味がない」
そう吐き捨てるイクチュン。韓国語ではビョンサンと呼ばれる縁台で酒盛りが始まる。

縁台は都会で生活している者に郷愁を呼び起こすものだ。これは南北共通の情緒で、私の知り合いの脱北者も次のように言っていた。
「夏の夜は家族全員が庭の縁台に座り、茹でたトウモロコシをかじりながら星空を眺めるのが最高の楽しみでした。故郷を思うとき、いつもこの場面が頭に浮かびます」
線路の向こうの企業団地はスペック(家柄、学歴、語学力、ルッキズムなど)競争で息苦しいが、縁台の上の韓国人と中国朝鮮族と脱北者の関係はフラットだ。私も縁台を買って夏はマッコリでも飲みたいと思ったが、ウチには庭がなかった。(写真04 縁台でマッコリを飲む男たち(全羅南道光州))

写真04

装置E 銭湯(沐浴湯)

水色洞はソウルのなかでも特に銭湯の多い町だった。江原道の炭鉱で産出された炭がこの町に運ばれ、大きな練炭工場で加工成型されていたからだ。工場で真っ黒になって働く人たちに銭湯は欠かせないものだったろう。

工場がなくなっても銭湯は庶民のささやかな楽しみだ。入り浸り男たちも例外ではない。湯温は41度。日本の銭湯と比べると気持ちぬるめで長湯向きだ。お湯につかりながらジョンボムが歌う。

そんな悲しい目で ボクを見ないで
過ぎ去った日々だけど 忘れることはないでしょう

韓国映画好きなら聴き覚えがあるだろう。90年代の名作「八月のクリスマス」のサブテーマ曲でもあった「창문 너머 어렴풋이 옛 생각이 나겠지요(窓越しに、ぼんやり昔のことを思い出すね)」である。中盤、主人公(ハン・ソッキュ)がバスに揺られながら、昔の恋人のことを思い出すシーンでこの曲が使われていた。

この曲は「春の夢」の終盤、ジョンボムの元カノ(シン・ミナ)も「故郷酒幕」で歌っていた。

装置F 異世界をつなぐトンネル

4人が映画を観に行くとき通ったのは、水色洞とデジタルメディアシティを結ぶ300メートルほどの地下トンネルだ。(写真05 水色洞側のトンネル入り口)(写真06 主人公の4人が歩いた水色洞とデジタルメディアシティを結ぶトンネル)

写真05

写真06

写真07

「デジタルメディアシティのある上岩洞側に住んでいたのですが、このトンネルを通ってよく水色洞に行きました。上岩洞の人たちは肩に力が入っていて、“構えている” ように見えました。一方、水色洞の人たちは、粗野でしたが、おおらかで騒々しくて、よく笑う印象です。私にはこの情緒的にまったく違う二つの風景を結ぶトンネルを歩いているときが夢のように感じられました」 (写真07 トンネルの向こう側、mbcのビルの偉容が目を引くデジタルメディアシティ)

2016年、雑誌『シネ21』のチャン・リュル監督インタビューより

「西洋的洗練とアジア的な猥雑さがまだらになっているところが韓国の魅力」と、よく日本の人に言われるが、このトンネルほどそれを実感できるところはないだろう。(写真08 入り浸り3人組とイェリが映画を観た韓国映像資料院)

写真08

■『柳川』

北京に住む余命いくばくもない男が、疎遠だった兄を誘って福岡県の柳川を旅する。兄の昔の彼女と柳川で再会し、3人は舟遊びをしたり、酒を飲んだり、温泉に入ったりする。

装置G 北京の日本居酒屋

日本にある韓国料理店に行くと感じることだが、海外で自国文化らしきものと出合うと、その過剰演出に笑ってしまうことがある。

本作の冒頭に出てくる北京の日本式居酒屋も、日本の人は違和感を覚えるだろう。カウンターの向こうに貼られている北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」はベタ過ぎて、韓国人の私でもくすぐったくなる。この映画では主人公の兄弟が柳川で本物の日本居酒屋に行くので、日本の人ならその差異を肌で感じるはずだ。

しかし、この違和感こそ自分が今まさに外国にいるという実感につながるので、私は嫌いではない。かつて台湾で出合った韓国料理店はあくまでも台湾×韓国であり、タイで出合った韓国料理店もタイ×韓国なのだ。

装置H 舟遊び

この映画を観た中国人や韓国人の多くが柳川の舟遊びに魅入られたはずだ。韓国では地方の殺風景な風景をペインティングやライティングで演出したり、廃線に自走式の乗り物を導入したりして観光集客に成功しているが、このような風流な舟遊びの観光商品化は見たことがない。朝鮮王朝時代の耽美を描いた韓国映画「スキャンダル」には、ペ・ヨンジュンとチョン・ドヨンとイ・ミスクが舟遊びをするシーンがあった。我が国の人々にも共有できる風流なのだ。

「柳川」は冒頭の舟遊びシーンの船頭の舟唄がよかった。どこかで聴き覚えがあるなと思ったら、「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」に登場した料理屋で、メガネをかけた酔客がしゃがれ気味の声で歌っていた『モンニッケッソヨ(忘れられません)』に似ているのだ。舟遊びのシーンは中盤にも出てくるが、船の上で韓国語で歌っていた客と「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」の酔客が同一人物のように見えるのだが、気のせいだろうか。(写真09 全羅南道の羅州。こんな川に小舟を浮かべたら絵になりそうだ)

写真09

装置I 妙齢の美人女将の居酒屋

韓国人でも日本人でも、酒場好きな男性の多くが、田舎町の名もない居酒屋で雰囲気のある女将と出合いたいと思っているらしい。私は女だがその気持ちはわからないでもない。二十代のときに母を亡くしているので、酒場の女将には色気ではなく母性を期待するのだが。

その意味で、「柳川」に出てくる「堀留」は理想的な酒場だ。カウンターで中野良子扮する女将とおゃべりをしたり、女将の鼻歌を聴くとはなしに聴いたりできる。
「女将さんはこういう店の人には見えませんね」
弟が女将に言ったセリフからもわかるように、場所や職種に不釣り合いな女性ほど男性には魅力的らしい。

この女将のよいところは、外国人観光客のたどたどしい日本語をしっかり聴き、ゆっくり丁寧に話してくれるところだ。いつか、日本のどこかでこんな女将に出逢えるだろうか。

■「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」

北京で大学教授をしている男が慶州を訪れ、自転車で古墳巡りをしたり、伝統茶室で女主人と微妙な空気になったり、地元の人たちと酒を飲んだり、歌を歌ったりする。

装置J カジュアルな古墳

私は仕事柄、ありきたりな名所や風景に尻尾を振るものかと肩肘張っているところがあるのだが、2018年に久しぶりに慶州で古墳を見たときはそんな足かせから解放されたように、母性的な波状を楽しむことができた。50歳に達してやっと大人になれたのだろうか。

街のあちこちに大小の古墳がある慶州には、旅人を引き寄せる不思議な魅力がある。映画のハイライトシーンが撮影されたユニの部屋の窓から見える乳房のような陵線は、なんともせつなく、愛おしい。これは高校の修学旅行で慶州を訪れたときには得られなかった感覚だ。(写真10 慶州、小中規模の古墳(昼景))(写真11 慶州、小中規模の古墳(夜景))

写真10

写真11

装置K 居心地の良い伝統茶室

ユニのように美しく、影のある主人がいる店と出合う確率は高くないが、旅先で歩き回って疲れたときに出合う居心地のよい伝統茶室や酒場は旅のアクセントになる。

慶州ではないが、同じ慶尚北道の大邱で、「月茶房」という風雅な名前の店と出合ったことがある。地方の茶房のママというと、日本のスナックのママ風の女性が多いのだが、奥から出てきたのはショートカットで化粧っ気のない60歳くらいの女性だった。出前が中心の店なのか、8畳ほどの空間に小さな厨房とテーブルが一卓あるだけだったが、昔ながらのやかんでお湯を沸かし、コーヒーはしっかりハンドドリップでいれてくれた。
「ソウルから来たのかい。ごはんは食べた? 麺でも茹でようか?」
順序がおかしいが、美味しいコーヒーに麺までいただいた上に、ゴマ油のおみやげまでもたされて、幸せな気持ちで店をあとにした。

また、釜山ではチャガルチ市場の近くの海沿いに「チャチプ(茶屋)」と書かれた掘っ立て小屋のような店を見つけて入ってみたことがある。店内は外観の印象とは裏腹に整理整頓されていた。田舎のオモニそのものといった感じのママは、意外にも本好きなのか、棚には百科事典から小説、紀行まであらゆる本がぎっしり並んでいる。そんな印象と不釣り合いに、メニューはコーヒー、漢方茶、ラーメン、チヂミ、酒類と脈絡がないのに笑ってしまった。

先客の初老の男性3人は静かにソジュのビール割りを飲んでいた。つまみの魚の煮物が美味しそうだ。柚子茶を一杯飲んで会計をするとき、「おもしろい店ですね。また来ます」とママに言うと、帰ってきた返事が、「どうぞご自由に」で、また笑ってしまう。冷たく突き放しているのではなく、お客さまのご随意にという率直な気持ちであることが伝わってきたからだ。

菊川駅前の小劇場でチャン・リュル監督作品の登場人物と旅をしたら、その余韻を引きずりながら寄ってほしい大衆酒場があると、私の事務所代表が言っていた。カウンター主体なので女性一人でも利用しやすい。気さくなお父さんと、トイレの前に立つとドアを開けてくれるお母さんと、料理上手な息子が切り盛りしている。刺身や揚げ物が美味しく、酒の種類も豊富だそうだ。劇場から徒歩5分。店の名を「みたかや酒場」という。


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「春の夢」

韓国・日本の地方都市を独自の感性で描くチャン・リュル監督特集

3月31日(金)~4月14日(金) 菊川 Stranger
上映作品
「柳川」「福岡」「群山」「春の夢」「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」


菊川 Stranger イベント情報

イ・ジュンドン オンライン舞台挨拶
3月31日(金)「柳川」(17:30の回)上映終了後(MC 溝樽欣二)
*イ・ジュンドン
チャン・リュルの諸作に出演、映画監督のイ・チャンドンの弟であり、映画プロデューサー。

佐藤結(映画評論家) トークイベント
4月1日(土)「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」(16:55の回)上映終了後(MC 溝樽欣二)

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