慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ
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濱野奈美子
チャン・リュルが描く
ふたつの異なる世界
東京墨田区菊川にあるStrangerで3月31日(金)より「韓国・日本の地方都市を独自の感性で描くチャン・リュル監督特集」が行われる。最新作「柳川」やA PEOPLEが配給する「慶州 ヒョンとユニ」など、チャン・リュルの代表作5作を一挙公開。それを記念し、A PEOPLE編集長の小林淳一とA PEOPLEブレーンスタッフライター、溝樽欣二の対談をお送りする。
【柳川】
溝樽欣二(以下溝樽) まずは「柳川」について語りましょう。ここでは映画作家は進化するのか?という話がしてみたいのですが。
小林淳一(以下小林) チャン・リュルは明らかに進化しています。僕が、映画監督が進化したと言う時は、簡単に言うと上手くなっているということです。だいたい映画監督って下手になっていくんです。普通の人は一本目より二本目、二本目より三本目のほうがって上手くなると思い込んでいるんですけど、映画をある程度見てる人なら分かりますが、あるところをピークに自己模倣が始まって新しいビジョンが出せなくなる。でも、たまにチャン・リュルみたいな化け物が出てくるんです。
溝樽 チャン・リュルは「慶州 ヒョンとユニ(以下、慶州)」以降は新しい表現はあんまり出てなかったんじゃないかと私は感じていました。正直「柳川」がここまですごい映画になっているとは思わなかった。話もわかりやすいし見やすくなったけど、映像が画期的に変わった。基本的にローアングルで色味が暗いところは光を抑えて、動きも最小限にして人の表情だけで撮っている。「慶州」でもとられた手法ですが、もっと洗練され、研ぎ澄まされた感じになっている、画が絵画的でもあるね。
小林 一番驚いたのはルックですね。「群山」も少しスタイリッシュになってきてはいたんですけど、今回は撮影が、パク・ジョンフンという韓国の方で、この方のルックが強いんだろうなと思うんですが、チャン・リュルはここまでトーンをコントロールするってことをやってこなかった。全体に緑がトーンになっている。川の色も主人公の服の色もそう。ストーリーのつながりは、かなりそぎ落としているんですよね。僕はよく「慶州」について人から言われた時に、時間が分からなくなる映画だと説明します。二時間半あるんですけど、没入感がすごい。長いから快感なんですよね。じゃあチャン・リュルはいつも長いかというとそうでもない。「柳川」は長くはないし、とにかく無駄が省かれて非常によく構成されている作品になっています。
溝樽 北京で始まり、北京で終わる。でも主人公は最後にはいない。不在の痛みを湛えながら、ストーリーは見事に連環しているんです。ちゃんと収まっている分かりやすさが、私は進化しいていると思った。だからチャン・リュルが描こうとしたことがストレートに胸に入ってきました。つまりあの中に出てくる、残したくなかったのに残っているあのテープのことや、池松壮亮のお父さんが宿の中身を絶対変えるなと言ったこととか、作品の根底にある人の哀しみや宿命的な心の行方をテーマにしたことがより明確に伝わってきた。
小林 「慶州」は山で、「柳川」は川なんですよ。これはポイントで、「慶州」は山であるが故に留まるもの、つまりあそこに死体がいっぱい埋まっている。「柳川」でも死体が埋まっている場所になりますよ、って中野良子が言っているけれど、川では流れちゃうんです。登場人物は中野良子以外は留まれないんです。というか留まっては(死んでは)いけない。生と死のトランジットだと思っているんですけど、逆に言うとあそこに死はないんです。
溝樽 癌に侵されてこれから死にゆく弟と、不能で生きているけど、心は死んでいる兄、女性だけが力強く生きている。チャン・リュルは今までの作品だともっとテーマをぼやかしてきたように見えたけど、あの三人の、それぞれが抱えている傷とか痛みを明確に深く描いている。
小林 ひとつ気になるのはこの映画って女性はどう思うのか。気持ち悪い男二人の話なんですよ。究極のプラトニックラブをやっているわけです。池松くんもそう。それをどう描写しているかというと、扉やその中から聞こえる音がひとつのテーマになっていて、そこが非常にうまい。ただものすごく男性視点で撮られている映画だなと僕は思っています。それも含めて個人的には素晴らしいと。結局、男の郷愁なのですよ、この話はどこまで行っても。
溝樽 話自体は日常的な小さい話だし、誰でも経験することでもある。お兄さんは多分ちょっとエスタブリッシュな感じで、日本に行っても偉そうにして、それは自信のなさの裏返しでもあるわけ。日本人だってこんなだよね。金持ったらやっぱり言うこと聞けって話になるし。弟は弟で女には興味あるけどできませんって、これもやっぱり共通している。そうした誰でも経験する普遍的なものに柳川のファンタスティックなものを載せているんですよね。
【慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ】
溝樽 「慶州」を見たときに配給の立場としてどう思いましたか?
小林 印象が一番近かったのはスペインの作家、ホセ・ルイス・ゲリンです。「シルビアのいる街で」が有名ですね。僕は「影の列車」が好きなんですが、「慶州」は明らかに死者があそこにいて、シン・ミナやパク・ヘイルに作用している。一番わかりやすいのは、あの子供です。何度も見ると凄く怖いシーンになっているんですよ。ホセ・ルイス・ゲリンと違うのは、宿っている霊みたいなものの磁場はあるんだけれど、それが強烈な個性を持たないということです。「慶州」でやったことは明らかにSFです。占い師が出てきた時に時間の軸がズレているんです。多次元宇宙みたいなことをやっていて、そこにシン・ミナは縛られている、あるいは、支配している。
溝樽 私は予告を観たときはありがちな韓流映画かなと思って、実際に本編を見てみたら今まで見たことない映像だった。それでチャン・リュルの存在を初めて知ったんです。「キムチを売る女」とか、どっちかというと社会派的な映画で、セックスのシーンも結構出てくる。そうしたどこかラジカルな姿勢が「慶州」で大きく変わっている。彼が映画を作る時は、そこの風景や土地からまず発想していって、その記憶を元に育まれてくるような物語が生まれている。それで私自身は腑に落ちた。これは一日の物語だけど、それを全く感じさせない没入感がある。だから見るたびにどんどん映画の時間が短くなっていく感じがある。私はそれが不思議だったから実際に「慶州」に行くわけです。本当に古墳が至るところにある。あそこはもう惑星慶州みたいな。まさしくSFですよね。
小林 「柳川」で中野良子は「ここにみんな埋まるのよ」って話をするじゃないですか。「私も埋まるのよ」って。それは「慶州」の話なんですよ。あれは「あなた、私の次の番人になりなさい」あるいは「ここにずっといたらそうなりますよ」って言っている。シン・ミナは中野良子がこのあとになるだろう死んだ後の番人なんですよ。あの空間を支配する女なんです。だから「柳川」と「慶州」は徹底的に違う。「柳川」は現代小説で、「慶州」はSFかファンタジー、ここを分けて考えないとこの二つの映画の決定的な違いがわからないと思います。
<ニー・ニー>
溝樽 そういう意味で「柳川」のラストはすごく深いよね。ヒロインを演じるニー・ニーは、勝手に小津安二郎の原節子だと思っている。ある種の無個性。無個性だからいろいろ吸収し、反射することができる稀有な女優。こういう演技をたぶん今、日本の女優はできていない。これを見て中国の俳優はここまでできるんだっていうことに感心したし、この映画の大きな見どころだと思っています。
小林 それは中国映画界のレベルが高いから? それとも彼女が突然変異的だと思っているんですか?
溝樽 もともと彼女は中国のトップ女優なわけで、自分が何を求められているかわかっている。多分もうほとんど何もしなくてもいいぐらいな話ですよね。普通に喋って自然に振る舞うみたいな。かつどこかエロティックに見せなきゃいけない部分もあって、このバランス感覚が見事です。一方で中野良子は演技的に勝手なことやっているわけじゃない。象徴的に日本と中国の演技メソッドの違いみたいなことを、チャン・リュルが理解してやったことは知らないけど。パンフレットのインタビュー読んだら、最後のシーンを最初に撮ったってことに驚いたんだよね。
小林 北京だから最初に撮らざるを得なかった(笑)。
溝樽 そうかもしれないけど、つまりチャン・リュル的じゃない。普通はやっぱり最後に全部理解して撮るでしょう。
小林 池松さんが言っているけど、あんなに何やるかわからない監督じゃないですか。10分座って何を撮るか決めるみたいな。でもやっぱり構想ができていたんじゃないですか。だから上手くなったんですよ。
溝樽 だからそういう意味でもニー・ニーという女優が演じたその女性の、いそうでいない感じが秀逸なんだよね。兄が言うじゃない? こいつは軽い女だからって、みたいな。男目線かもしれないけど。
小林 いや、あの男も気持ち悪いけど、彼女が嫌だって女の人もいっぱいいますよ。でも、客観的に僕は魅力的だと思うんですよ。シン・ミナもそうでしたけど、チャン・リュルってやっぱり美人を使うし、わかりやすいフェロモンみたいなことをやらないじゃないですか。今回ももっとセクシーに撮ってもいいと思うんだけど、そういうことはしない。でもその中でああいう物語、それこそ触れる触れないみたいなところのスリリングさみたいなことをやっているんだと思うんですよね。
溝樽 初めての人はチャン・リュルの特集をどう見たらいいですか。
小林 「柳川」から見ればいいんじゃないですか。もちろん作家って順番に見るのが本来一番いいんだけど、今回のストレンジャーの企画は、「柳川」→「慶州」の順で見て比較してほしいです。この人はずっとグローバル映画をやっているんですよね。ただ、似ていても、違う、ということがよくわかると思います。
溝樽 日本映画とか韓国映画の良さを吸収してね。次は多分完全に中国を舞台にした真正?‼中国映画だから、凄い楽しみ。
小林 そういう意味でA PEOPLEのテーマと合っていますよね。
「柳川」
「春の夢」
韓国・日本の地方都市を独自の感性で描くチャン・リュル監督特集
3月31日(金)~4月14日(金)
菊川 Stranger
上映作品
「柳川」「福岡」「群山」「春の夢」「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」
イ・ジュンドン オンライン舞台挨拶
3月31日(金)「柳川」(17:30の回)上映終了後(MC 溝樽欣二)
*イ・ジュンドン
チャン・リュルの諸作に出演、映画監督のイ・チャンドンの弟であり、映画プロデューサー。
佐藤結(映画評論家) トークイベント
4月1日(土)「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」(16:55の回)上映終了後(MC 溝樽欣二)