text
相田冬二
生命力のエキスだけが、そこには放置されている
モノクロームのホームドラマ。
在日インド人で、アニメーターとしても活躍していたという監督の背景がほとんど匂わない幕開けがまず、いい。
祖父を失い、その遺品から彼の戦争体験に興味を抱いた孫娘。
彼女と父親は、祖父の死後、ふたりきりで暮らしているからこそ、ディスコミュニケーションを生きるしかなくなる。
そんな父娘は、正体不明の男と出逢い、自分たちの関係性を見つめ直し、再構築していく。
とりあえず、ホームレス、と呼ぶしかないその男が謎めいているのは、後ろ向きに歩いているからに他ならない。
いかなる過去が、いかなるコンプレックスが、彼の逆方向世界をかたちづくっているのか、映画は説明しない。
ただ、言葉もなく、表情もさほど雄弁ではない、その男が介在することで、父と娘がいる家は、なんらかの可能性を獲得していく。
黒白の、決して短くはない画面の連鎖が、なぜか活気づき、地味なはずの物語に、高揚感を付与する。
なぜか。
映画のダイナミズムがあるからだ。
ダイナミズムの要因はさまざまにあるが、ここでは、大きくふたつのことだけ記しておこう。
まず、後ろ向きに歩く男だ。
モノクロの抜けのよい映像に、ゲリラ撮影を思わせるスリリングなアプローチが加わり、歩いたり、走ったり、転んだりする、後ろ向きの移動行為が、映画ならではのエモーションに昇華されている。
物語的な意味にまったく頼らず、ただただ、銀幕の快感に身を委ねていれば、それでよい。
至極、単純な輝きが、ここにはある。
そして、孫娘の高校生。
自転車に乗っている様も、それを打ち捨てる風情も、すべてふてぶてしく、堂々としている。
生まれながらのフラストレーション、怯むことのない面構え、獰猛な優しさ、欲望のエナジー、神経の解放。
キャラクター描写のせせこましさから、あっさり離脱し、ただただ生命力のエキスだけが、そこには放置されている。
信頼に値する存在感。
シリアスなシチュエーションだが、根源的なポジティヴィティに満ちあふれている。
あれこれ考えるより、まずは飛び込んでみるのが得策だ。
監督・脚本:アンシュル・チョウハン
出演:円井わん/間瀬英正/山田太一
2019年製作/143分/日本
配給: リアリーライクフィルムズ + Cinemaangel
©2020 Kowatanda Films
3月20日(土)より 新宿K‘scinema
そのほか全国順次ロードショー