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二ノ宮隆太郎

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賀来タクト

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星川洋助


きれいごとではなく淡々と。でも、感情は動く。
そんな終わり方を考えていました

――いつ頃、どういった経緯で生まれた企画だったのでしょうか。

2018年に(長編第2作の)「枝葉のこと」をシアター・イメージフォーラムさんで劇場公開していただいて、劇場の近くにあった鈍牛倶楽部(光石研が所属している事務所)の社長(國實瑞惠)に人づてに前売り券を渡して映画を見てもらったんです。そのときに「光石さんが好きなので、事務所に入れてください」とお願いしたら、「じゃ、やってみる?」と。当時、自分の手許には何の脚本も用意していなくて、社長に「光石が好きなら、光石でホン(脚本)を書いてみれば?」と言われたのが最初です。その後(2018年の)11月に光石さんが北九州の地元で開かれる「黒崎商店街PR動画コンテスト」の審査委員をされるときに、光石さんに同行して(光石が育った北九州市八幡西区の思い出の地を)案内していただきました。映画の中で平賀南(吉本実憂)が末永周平(光石研)に案内されたようにひとつひとつ説明していただきました。映画の中ではその説明のままやっているところもあります。自分としては、光石さんが育った場所の記憶や、本当にあったエピソードを物語に織り込みたいと思っていました。それまでの自分が監督した映画もそうでしたが、そうすることで(登場人物を)リアルなものにしたかったんです。もちろん、(映画の中で語られる思い出話は本当にあったことは多いが)光石さん自身は周平のような性格ではありません。

――どんなお話にしようというアイデアはあったのでしょうか。

事務所の社長が(生前に)緒形拳さん主演で「記憶を忘れゆく男」というのが題材の映画の企画を考えていたそうなんです。その設定で光石さんでどうだろうというのを九州に行く前に社長からいただいていました。ただ、それが緒形拳さんのための映画の設定だと知ったのは(「逃げきれた夢」が)カンヌで公式上映されたときでした。社長からそこで「実は……」という話が披露されたんです。自分としては(記憶を失うという設定を入れ込むのなら)人生の要素のひとつとして(記憶を失うことを)描きたいと考えていました。病気を恐れるというより、むしろ病気になることでホッとすることもあるだろう、と。ただ、(病気は)安易に描いてはいけないものですし、(その設定を取り入れるのなら)表現するバランスには気をつけようと思いました。そのことは映画が完成する時までずっと考えていました。あと、自分の父親が定時制高校の教員でしたし、友人も定時制高校の教員でしたので思い入れもあり、その設定も脚本に加えていきました。

――どれくらいで脚本は仕上がったのでしょうか。

(脚本の)第一稿は(北九州から帰った後)1~2ヶ月後くらいには書き上げてました。その年の初め(2019年)にフィルメックス新人監督賞の募集がたまたまありましたので、そこに第一稿を出したら、運よくグランプリをいただけたという感じです(構成注:受賞発表は2019年7月1日のこと)。

――事務所の社長から提案があった「記憶をなくす男」という設定は、光石さんにも事前に伝わっていたのでしょうか。それを念頭に思い出の場所を回られたのでしょうか。

光石さんは(その設定を)知らなかったと思います。光石さん主演で光石さんの故郷を舞台に映画を作りたいということだけ伝わっていて、自分を案内してくださったと思います。自分も光石さんとお目にかかったのはまだ数回くらいでしたから光石さんからすると(北九州への同行も)いきなりファンがついてきた、みたいな感じだったと思います(笑)。

――北九州への同行取材にはどれほどの日数をかけられたのですか。

光石さんが(動画コンテストの)審査員をやる日の午前中、2~3時間くらいでしょうか。

――当初、光石さん主演の企画を立てられて北九州へ視察に出かけられたときは、二ノ宮さんとしてもそれほど映画化の現実味はなかった感じでしょうか。どこか、今後のための脚本のストックのための脚本執筆という気分だったのでしょうか。

(映画化されることへの)自信はあった気がします。光石さんに故郷を案内していただいて書く脚本が映画にできないなんて、そんな哀しいこと、想像もしたくなかったです。絶対、作るんだと思い込んでいました。

――改稿を重ねる中で、物語にどんな変化があったのでしょうか。

大きなところではそんなに変わっていません。初めから光石さん(が演じる定時制高校の教頭)を追いかける数日間のお話と決めていました。ただ、物語を進めていく表現のバランスは何度も見直して変えていきました。

――改稿と並行して、キャスティング、オーディションも行われたと思います。

(キャスティングについては)自分の意見を採用していただきました。本当にありがたかったです。オーディションについては自分がそこまで(若い女優に)詳しくなかったことと、(新しい人材と)出会いたいという気持ちがあったことで、開くことにしました。吉本実憂さんが演じられた平賀南という役はもともとは愛知県から来た人という設定だったんですけど、吉本さんに決まってから(北九州の地元の人として)書き直しています。誰でもできる役ではないと思いましたし、オーディションで(お芝居を)見させていただいた感じです。

――平賀南という役はクライマックスで周平と対する重要な役でした。一方、周平の娘・由真を演じた工藤遥さんも好印象を放っています。

自分としては「(ふたりと)出会えた」という感じでした。(ふたりの配役が決まったことで)ようやく映画が大きく固まったといいますか。吉本さんには(事前に)方言のことや(言葉の)言い回しのことを話させていただいて、工藤さんには(実生活で)お父さんとどんな感じなのかを伺いました。(現場では)どの役者さんにもそうですけど、基本的にはまず自由に演じていただいて、もし自分の方で何かあったらお声がけをするという感じでした。おふたりとも本当に素晴らしかったです。

――この「逃げきれた夢」を何度も見ていいなと思うには、前半の隙のない学校描写です。一見、なんでもないシーンですけれど、主人公の周平の日常を見せると同時に、平賀南とのかつての関係性もほのかに連想させる。かといって単純なドラマの布石になっているわけでもなく、起承転結でいえば「承」の部分が充実している感触といいますか。

自分の中では(自分の作品は)起承転結でありながら起承転結にしたくない、という思いがあるといいますか。「映画の型」にはめたくないとは考えていました。学校の部分もどの部分も、どれも同じくらい重要にしたいと思っていました。

――王道的な部分があっても王道の語り口に甘えていない。かといって、王道を避けよう、壊そうなどとして、物語が自壊するような愚も冒していません。

そういうところのバランスを自分なりに考えて脚本を書いています。

――今回、映画の画面サイズはビスタではなく、スタンダードです。なんらかのこだわりがあったのでしょうか。

画面のサイズは脚本を書くときから決めていました。そのサイズの世界観の中で、光石さんと光石さんに携わる人の表情を切り取っていこうと。この映画には(スタンダード・サイズが)合っていると思いました。映画(の仕上がり)を想像しながら脚本を書いていますので、計算というよりは感覚的なことかもしれないです。

――カメラワークの面では従来の作品で多用されていた長回し撮影ではなく、カットバック=切り返しを主体としたスタイルに変えています。結果として、これまでの長回し主体の監督作品とは異なり、登場人物の表情がハッキリ映し出されました。

脚本を書いているときから、ナメないカットバック(肩越しに対象人物をとらえず、双方それぞれを単独で切り取り、交互に見せる撮影方法)を基本とする映画にしようと決めていました。終盤のシーンの一部では正面から狙いつつ、でもカメラ目線にしない、とか。そういうことを決めて(脚本を)書いていました。それがこの映画にはベストだと考えて。今回はその世界が合っていると思いました。

――長回しではないけれど、それぞれの人物をとらえたカット自体は短くないといいますか、むしろ長いですね。決して短いカットを積み重ねてのリズミカルな切り返しにしていません。切り取ったワンショットの中での長回し、という見方はできないでしょうか。それによって「空間を切る」ことを避け、空気をつなげているような気がしています。

自分としては、この世界のバランスとして、その「間(ま)」が適切だったんだと思います。(登場人物は)ほとんどオンで話していて、裏で話していることは少ないです(構成注:人物が話している様子を背後の画で見せたり、相手の姿に声を重ねて見せたりしないこと)。それもこの映画の特徴、世界観といいますか。編集では(それぞれの画の切り返しの)バランスに気をつけました。といっても、カットを長く伸ばして実際のお芝居の流れを崩すようなことはしていません。

――編集で会話の「間」が操作されていないということは、完成品のカットバックにあったものと同じ「間」が撮影現場にそのままあったということですね。あの緊張みなぎる「間」が現場でそれ相応の長さをもって確保されていたのだと。つまり、撮り方を変えただけ、という言い方もできるかもしれません。従来の長回し撮影同様の空間がそこにあった。演出によって導かれた「独特の対面の時間」が変わらずそこにあったと言えます。

そういうことかもしれません。カットバックしているけれど、できるかぎりウソに見えない空気感を(現場で)つくろうとしていた気がします。

――画を割ることができたというのは、長回しという手法に甘えることなく、空間・空気をつなぐことができる自信がついてきた証左でもあるのではないでしょうか。今回、商業映画ということで現場の人数も規模が大きくなっているにもかかわらず、無理なく撮影方法を変更できているのですから。

これまでの経験がそうさせたのかもしれません。(撮影技師の)四宮秀俊さんをはじめ(これまでのスタッフが)今回も一緒でしたので、新しい挑戦ではあったんですけど、不安はありませんでした。

――二ノ宮さんが書かれた脚本に目を通しますと、すごく読み手に親切です。状況説明がわかりやすくト書きに書かれていて、むしろ完成した映像の方が省略されていて、よほど素っ気ない。換言するなら、作家的な感覚の押しつけが脚本にはなく、出演者やスタッフが現場で戸惑わないような端的な指示と配慮に満ちています。

そうおっしゃっていただけると嬉しいです。そういう脚本にしないといけないと考えています。

――撮影期間はどれほどでしたか。

撮休日を含めて2週間です。

――時間の制約上、撮りこぼし、もしくは妥協してしまった撮影みたいなことは二ノ宮組にはあるのでしょうか。

それに関してはどちらもないです。撮影スケジュールは、ずっと一緒にやっている(助監督の)平波亘さんに切ってもらっています。自分の撮影の仕方も、時間のかけ方もわかってくださっていて、ほかのスタッフさんもみなさん、信頼できる方ばかりですので、いろんな相談をさせていただきながら、不安なくやらせてもらっています。

――映画は光石さんの周平と吉本さんの平賀南の対峙でクライマックスを迎えます。周平とその家族(坂井真紀&工藤遥)、あるいは周平と幼なじみ(松重豊)でクライマックスを描く方向もあったでしょう。でも、二ノ宮隆太郎はそうしなかった。対峙すべき存在として周平と平賀南が存在した。先生と元生徒がぶつからなければならない物語だった。

そこは最初から決めていたことでした。絶妙な距離感を持った年配の男と若い女性。過去のことを忘れてホッとすると言っている男に対して、女性は男との過去のことで救われている。男は女性の未来を否定して、女性は男の過去を否定する。そこで穏やかに映画の終わりを迎える。でも、人生は続いていく。そういう物語にしたかったんです。きれいごとではなく淡々と。でも、感情は動く。そんな終わり方を考えていました。

――この教師と元生徒は仲がいいけれど、どっぷり仲がよかったわけでもありません。

(周平は)南にだけは「記憶がなくなる」ということを伝えることができたと思います。家族じゃないことでちょうどいい距離感が南にはあった。そういうふたりだから、ということだったと思います。

――そこに二ノ宮隆太郎という映画作家の人間観が反映されている気がします。

確かに、自分はそういう人間なのかもしれません。だからこそ、そういう表現をしたくなるのかもしれません。

――映画の冒頭とエンドクレジットでは、白いもやのかかったような映像が使われています。記憶障害をモチーフにした処理だったのでしょうか。

そうです。脚本には「夢の風景」と書いていますけど、(周平の)過去なのか未来なのか。そこはハッキリさせず、ご覧になる方にお任せする感じにしたといいますか。ただ、(そのもやのかかったような映像に)子どもたちの声を重ねること、(エンドクレジットで)音楽を入れることは(脚本段階で)決めていました。

――「逃げきれた夢」というタイトルも出てきません。

今回は出さないと決めていました。必要ないだろうと。「逃げきれた夢」というタイトルだったからこそ、出したくないというのもあったかもしれないです。わかりやすいタイトルではないので、出すことで変に意味をつけたくなかったといいますか。

――エンドクレジットに音楽を書かれた曽我部恵一さんは大の二ノ宮映画のファンですね。

撮影が終わったあとにオファーさせていただきました。曽我部さんに「歌なしの音楽を」という(発注をする)のはどうかなと思ったんですけど、自分は曽我部さんの大ファンなのでご一緒できて嬉しかったです。

――完成したときの手ごたえはいかがでしたか。

いつもやっているスタッフさん、好きな役者さんたちと映画を作ることができて嬉しかったですし、良い映画を作ることができたとは思っていました。

――カンヌ映画祭では「ACID(インディペンデント映画普及協会)」部門への出品でした。

何より嬉しかったのは、スタッフ、キャストのみなさんがすごく喜んでくださったことです。これまでにも何度か映画祭にはお邪魔したことがあるんですけど、カンヌはちょっと違いました。こんなに喜んでもらえたのは本当に嬉しかったです。劇場では5~6回、上映されまして、そのうちの2回、Q&Aをやらせていただきましたけど、劇場は(観客で)満杯だし、みなさん声をかけてくださる。本当に映画好きの方が集まる素晴らしい場所だと思いました。

――今後、どんな方向に進まれるのでしょうか。

「逃げきれた夢」は今までの延長でもあり、挑戦でもありました。今までは若者を主人公にしたところを還暦間近の男にして、(撮影では)カットも割っています。そういう自分の中での「新しい挑戦」はこれからの作品でもやっていきたいです。その上で、自分が監督することでしか描くことのできない表現を目指したいと思っています。

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「逃げきれた夢」

二ノ宮隆太郎
1986年生まれ。映画監督、脚本家、俳優として活動。2012年、初の監督長編作品「魅力の人間」が第34回ぴあフィルムフェスティバルで準グランプリを受賞。長編第二作「枝葉のこと」が第70回ロカルノ国際映画祭の長編部門に選出。2019年、長編第三作「お嬢ちゃん」が公開。同年、2019フィルメックス新人監督賞グランプリを受賞。2023年、「逃げきれた夢」で商業映画デビュー。同作は第76回カンヌ国際映画祭でACID(インディペンデント映画普及協会賞)部門に選出上映される。(書籍「作家主義 相米慎二2023 台風クラブ シナリオ完全採録」(A PEOPLE:刊)にインタビューが掲載)


「逃げきれた夢」

監督・脚本:二ノ宮隆太郎
出演:光石研/吉本実憂/工藤遥
2023年/96分/日本
配給:キノフィルムズ

Morc阿佐ヶ谷にて公開中


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