*

A PEOPLE CINEMA

あなたを、想う。

text
相田冬二


未来の想いを、想う

父の死に目に会えなかった。母の死に目にも会えなかった。

だが、そのことに後悔はない。
父にも、母にも、その前日、もしくは前々日に会ってコミュニケーションをとることができたからだ。

離れて暮らしてはいたが、音信不通だったわけではない。

なぜか、父のときも、母のときも、オリンピックイヤーだった。

父の4年後に母は、この世を去った。
月命日まで同じだった。

母に最後にかけたことばは「おやすみなさい」だった。

深夜バスに間に合わなくなるといけないから、はやく帰れと、母は従来のせっかちさで主張した。

まだ時間はあった。
もう少し話もしたかった。

だが、ひとりっ子である自分は、子どもの頃からそうしてきたように素直に従った。

いまさら関係性を変えることはしたくなかった。

「わかったよ。また来るね。おやすみなさい」

母は声に力が入らなくなっていたが、快活な調子で「おやすみ」と答えた。

それが自分にとっては彼女の最後のことばとなった。

わたしは、ひとが死んでいく姿を見たことがない。
目の前でひとが死ぬということがどういうことなのかわからない。

死に目に会うということは一般的に大事にされているが、ほんとうに大事なことだろうか、と思ってきた。

はなはだ不謹慎だが、もし、自分が親の死に目に会えなかったら、この考えもくつがえるのだろうか、うっすら思った時期もあった。

二度体験したが、変わらなかった。

ひとそれぞれ考え方は違うだろうが、死の瞬間に立ち会うことよりも、そのひとと「これまで」どのような関係を育んできたか、「これから」どんなふうに紡いでいくか、そのことのほうがずっと大切だと思う。

誰しも後悔のないように生きたいと願っている。
だが、多かれ少なかれ、悔いは生じる。

なぜなら、ひとはひとりで生きているわけではないからだ。

どんなに計画的に、細心の注意をはらっていたとしても、思いもしなかったことが起きる。偶発的に起こりうることがたくさんある。

そもそも、ひとは自分の感情をコントロールすることができない。

あるときは衝動的に間違いをおかしてしまうし、あるときは考えに考えぬいた末に「そうしなければよかった」と思うしかない選択をしてしまう。

逆に言えば、なにか「してしまった」あとでないとわからないことがたくさんある。

最良の選びを継続することは不可能に近い。

ひとの人生は綱わたりの連続だ。落下をおそれていたら、一歩も踏み出せない。
あるとき必ず落っこちる。

少し意地悪な表現をすれば、ひとは、落っこちるまでの「これまで」を生きるしかないし、落っこちたあとの「これから」を生きるしかない。

この映画で描かれる兄や妹、そして妹の恋人であるボクサーは「以後」の人生を生きている。

3人は、親と、自分が思うような関係を築くことができなかったのかもしれない。
しかし、それは誰の責任でもない。

親のせいでもなければ、自分のせいでもない。
関係性とは、どちらか一方の選択によって成り立っているものではないからだ。

親の思い通りに子はならないし、子の思い通りに親はならない。
些細なものであれ、決定的なものであれ、行き違いは生まれる。

肉体的にはもう存在しないはずの親と出逢う。
それは再会とはまた違うことなのだろう。

夢かもしれないし、幻影かもしれない。記憶かもしれないし、願望かもしれない。

だが、少なくとも、ここで描かれる3人は、親という存在を「抱えもつ」ことを諦めなかった。

「抱えもつ」ことには辛い側面もあっただろう。
「忘れない」という明確な覚悟ではなく、「忘れられない」という弱々しい未練かもしれない。

だが、「抱えもって」いたからこそ、3人の前に「それ」は出現した。
そういうことだったし、そういうことでしかないのでないか。

割り切れない想いに、どうにかこうにか折り合いをつけて、自分の「どこか」に仕舞っておく。

ある一定の距離をキープはするが、それは、いつでも、どこでも、取り出せるものだ。

落っこちたあと、無理に立ち上がる必要はないし、もう一度、その綱にのぼろうとしなくてもいい。

綱を下をとぼとぼ歩いていったって、別にみじめではないし、さみしいことでもない。

綱の上では見えなかったことが見えてくることだってある。

ひとは「これまで」にはなかった「これから」を生きるしかない。

そのためには「これまで」をとことん再利用すればいい。

夢や幻影や記憶や願望にいくらすがっても、「これまで」とは異なる「これまで」がやってくる。

もし、人生にたしかなことがひとつだけあるとすれば、未来はだれにもわからない、ということだけだ。

来年、またオリンピックイヤーがやってくる。
そのとき、わたしは、父のなにを、母のなにを想うのか。

未来の想いを、ひそかに期待している。

(「あなたを、想う。」パンフレットより 2019年)


「あなたを、想う。」

監督・脚本:シルヴィア・チャン
脚本:蔭山征彦 撮影:リョン・ミンカイ
出演:イザベラ・リョン/チャン・シャオチュアン/クー・ユールン/リー・シンジエ
2015年製作/119分/台湾・香港合作
原題:念念 Murmur of the Hearts

配給:A PEOPLE CINEMA
©Dream Creek Production Co. Ltd./ Red On Red


「台湾巨匠傑作選2020」
9月19日(土)~11月13日(金) 新宿K’s cinemaにて上映
「台北暮色」 9月23日(水)、9月29日(火)、10月3日(土)、11月2日(月)上映
「あなたを、想う。」 9月23日(水)、10月9日(金)、11月3日(火)上映

「A PEOPLE SHOP」にてパンフレット 発売中


<関連記事>
archive/台湾巨匠傑作選2020(前編)
review/台湾巨匠傑作選2020(後編)
archive/ホアン・シー
A PEOPLE CINEMA/「台北暮色」
archive/チャン・リュル
A PEOPLE CINEMA/慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ
archive/シルヴィア・チャン
A PEOPLE CINEMA/あなたを、想う。

フォローする