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CULTURE / MOVIE
村上春樹原作「バーニング 劇場版」
イ・チャンドンが描く、豊かな穴の向こう側にある“何か”

再会した幼なじみは整形していて、綺麗な女性になっていた。彼女はアフリカに旅に出るという。留守中、猫の世話をしてほしいと頼まれる。だが彼女の部屋には猫は見当たらない。やがて彼女は帰還。傍らには富裕層の青年がいて、主人公はそれから3人で不思議な時間を過ごすようになる。そうしてある日、彼女が行方不明にーー。

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謎というよりは、空白が、穴が、たくさんある物語だ。青年の正体はもちろん、彼女が主人公に語る幼少期の想い出話も、共有が難しく、そのようなことがほんとうにあったかどうかの確証もない。

そもそも確かなことなど、この世界のどこにあるというのか。他者と自分の関わりあいには、はっきりしたことは何もない。どこか何かが欠落している。その欠落を、見て見ぬふりをすることもコミュニケーションの重要なマナーだ。純然とすべてを盲信できる関係など存在はしない。だが、恋心が絡むと、ひとは欠落を受け流すことができなくなる。この映画は、魅惑的な空白や、豊かな穴の向こう側にある「何か」の行方を見届ける。

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主人公の気持ちはヒロインに向かい、ヒロインの気持ちは青年に向かい、青年の気持ちは主人公に向かっている。一方通行の三角関係。だが、作品から浮かび上がってくるのは、トライアングルではなく、互いに孤立する3本の柱だ。長さも太さもかたちも装飾も違う柱が、それぞれに屹立している。どれがいい、どれが悪いという決めつけをせず、それらの間にヒエラルキーを存在させず、個別の柱にみなぎる生命のありようを尊重する。そうすることで、緊張感の中にある艶かしさ、脱力の果てにある深遠、暗喩の反復が辿り着く真理を、まさに映画にしかなし得ない透明な強度で顕在化させる。

狡猾さに背を向けながら、愚直な魂に寄り添い、掘り下げ、目をそらさず、しかし誰のことも断罪しない。だから、ここには被害者も加害者もいないし、護る者、護られる者という単一的な主従もない。

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イ・チャンドンの慈悲は、若者世代だけに向けられたものではなく、あらゆる境遇のひとびとが体験している現在進行形の魂の揺らぎに捧げられている。じっと見つめる。だが、追い詰めない。凝視という行為がここまで優しい現象に感じられる映画は初めてかもしれない。自分自身を愛するように、他者を「知る」ことは決して不可能ではないと思わせられる契機が、この作品には無尽蔵に埋まっている。

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Written by:相田冬二


「バーニング 劇場版」
監督:イ・チャンドン
原作:村上春樹「納屋を焼く」(新潮文庫『蛍・納屋を焼く・その他の短編』)
出演:ユ・アイン/スティーブン・ユァン/チョン・ジョンソ

2月1日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
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