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冬冬の夏休み デジタルリマスター版

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夏目深雪


もう一つの現実(リアル)

近年の台湾映画の勢いは止まることを知らない。

「島から島へ」(24)や「青海原の先-牡丹と琉球の悲歌」(25)など過去の日本との争いや旧日本軍の残虐な行為を白日の下に晒す優れたドキュメンタリーが注目され、鍾孟宏(チョン・モンホン)は「余燼」(24)にて、白色テロという台湾の歴史の暗部を今までにない視点で撮った。

台湾における「移行期正義(※)」の追求の一環であるということだ。

「余燼」のレビューを書くにあたって、白色テロを描いた映画を色々と観直したが、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)が1989年という驚くべき時期(87年まで戒厳令が敷かれた)に「悲情城市」を撮っていたのが印象的だった。

侯は続く「好男好女」(95)でも白色テロをテーマにする。

シネフィルに人気の高いエドワード・ヤンも「牯嶺街少年殺人事件」(91)で白色テロを扱ったが、この作品は少年が少女を刺殺する、実際に起きた事件を基にしていて、ウエイトはそちらの方が高いだろう。

侯とヤンは同い年で、助監督からの叩き上げの侯と海外留学組のヤンという違いはあるが、親交が深く、お互いの映画に出演しあったり、日本でもセットで捉えられている向きがあるだろう。

だが作風は違う。

ヤンは台北を都市の匿名性とともに描き、映画の話法を時には崩しながら、台湾の歴史の中でもがく人々を描いた。

傑作ばかりだが、先進性に満ちた作風だけに、「牯嶺街少年殺人事件」で年端のいかない少年少女をまるでフィルム・ノワールの男女のように描いたり、「カップルズ」(96)の複数の若い男性に共有されるヒロインなど、今の視点から見ると気になるところもある。

侯の映画は同時代に観ていても、斬新さとは反対の、ノスタルジーを感じさせる作風であった。

特に1984年に撮られた「冬冬(トントン)の夏休み」はその傾向が強い。侯のではなく、脚本を担当した朱天文(チュー・ティエンウェン)の幼い頃の思い出をベースにしているが、今観ても古びた感じが全くしないのは、単にノスタルジックに描いているからだろうか。

侯は常に人間を中心に描いてきた。

「HHH: 侯孝賢」(97)で侯は映画の登場人物の性格づけは、実際の人物から素材を得ていると語る。

高捷(ガオ・ジェ)や伊能静ら俳優の生活の背景、存在が結び付いて映画になる。

侯の演出法はこうだ。

台詞はあくまで枠組み、おおよその内容であるので、あとは自分の言葉で喋ってほしい。

台詞を丸暗記すると表情が出ないし、慣れが演技を制限するので、リハーサルもしないし、撮影も2テイクまで。それでダメなら中止で、数日置いて撮るとのことである。

撮影が順調に行かない時は、違う表現を考えるそう。

侯はまたこうも語る。

「私の映画には登場人物への批判はありません。私は彼らを画面に生かすだけです。彼らの情熱を具現化する」

「映画監督も50歳前後になると、社会に対する観念を画面に盛り込み映画がうるさくなる。初期の作品の方が力がある。的を射て効果があって」

この指摘は、「冬冬の夏休み」を観たあとだと、とてもピンと来る。

子どもを撮った傑作は多い。

相米慎二監督のいくつかの映画、最近も早川千絵監督の「ルノワール」(25)など。

それらの作品は子どもに演技させる難しさを乗り越えているのだろうが、侯の演出法を見ると、飽きっぽい子どもでも苦もなく対応できそうである。

「冬冬の夏休み」が侯の原点であるような印象を持っていたのだが、あながち外れていないのかもしれない。

人間を描くというのは、監督の観念や映画のスタイルで登場人物を操作しないということではないか。

冬冬を祖父の家に連れていってくれる叔父さんの性的なだらしなさ。

祖父の街に着いて間もないのに、冬冬はすっかり子どもたちと仲良くなって遊んでいる。

妹の婷婷(ティンティン)は幼過ぎて偏見がないので、寒子と仲良くなるが、それが思わぬ僥倖と悲劇に繋がる。

妹へのちょっとした意地悪が発端だった、身動きが取れない婷婷に列車が迫るシーンの恐ろしさ。

映画は映画であり、現実とは違う。

我々は常にそう思いながら映画を観ている(はずだ)。

だが侯の映画を観ていると、“もう一つの現実”とでも呼べるようなリアルさにただ驚き、嘆息するしかない。

ゴツゴツするようなリアルと、祖父の田舎に滞在する子ども自時代の夏休みという、誰もが持っているであろうノスタルジーの合体というのが、「冬冬の夏休み」という驚くべき映画の正体なのかもしれない。

白色テロを描いた映画をいくつか観ていた時も、配信もソフトもなく“観れなかった”にもかかわらず、かなり昔に観た「悲情城市」のトニー・レオンの所在なげな佇まいが一番印象的だった。

“人間を描く”ことによって台湾の歴史や、また我々の世界そのものを描いた侯の映画。

この度デジタルリマスター版が公開される「冬冬の夏休み」のみならず、開催中の「台湾巨匠傑作選2025」でも「風が踊る」(81) 、「風櫃の少年」(83)、「童年往事 時の流れ」(85)、「恋恋風塵」(87)といった侯の初期の傑作が上映される。

ぜひ贅沢な夏休みとして侯のゴージャスな映画世界に浸ってみたらいかがだろうか。

(※)民主主義体制に移行した政権が、過去の人権侵害や大規模な虐殺について真相を明らかにした上で、社会の再建を試みること。


「冬冬の夏休み デジタルリマスター版」
監督:ホウ・シャオシェン
出演:ワン・チークアン/リー・ジュジェン/エドワード・ヤン/グー・ジュン/メイ・ファン
1984年/98分/台湾
原題または英題:冬冬的暇期 A Summer at Grandpa's
配給:Stranger
© CITY FILMS LTD.

8月1日(金)より新宿武蔵野館、渋谷ホワイト シネクイント、Strangerほかにて全国順次公開


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