text
八幡橙
小さな箱の中から壮大な宇宙を眺める
《マジカルミステリーツアー》へ
《マジカルミステリーツアー》。
「箱男」は確かに、複雑で不可思議で一寸先がまったく読めない、謎だらけの冒険譚とも呼びたい映画だ。
猥雑で恐ろしく、それでいておかしみもたっぷりとあり、したたかなようでそこはかとなく繊細。
ただひたすらに箱を被った奇妙な男の尋常ならざる顛末や、本物VS偽の箱男同士のバトルを活劇として楽しむもよし、人間の煩悩と清廉、主観と客観、匿名性への欲求と埋もれたくない自我とのせめぎ合いなど、哲学的な命題をおのおの掲げ、分析しながら繰り返し没入するもよし。
同じ人でも、観る度に味わい方をいかようにも変化させ得る、底なしの懐と奥行を備えた映画でもある。
その奥行をより深く、果てしなく広げた要因は、今回の場合、やはり何より《時間》だろう。
安部公房の原作が発表されてから51年。
石井岳龍×永瀬正敏×佐藤浩市という顔ぶれでドイツのハンブルグへと乗り込み、いざ翌日から撮影開始という段になってあえなく中止の憂き目を見た、伝説の頓挫から27年。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ――ニーチェの有名な文言を思い出さずにはおれない、原作が本来持っている《見る側》と《見られる側》の逆転という核や、路傍の石のごとく名もなき存在でありたいと希求する人間誰しもに共通する願いは、長い長い時間を経て、古びるどころかむしろ、よりいっそう切実さと親和性を増していた。
世の中は加速度的に「個」の時代へと突入し、スマートフォンを一人一台持っていることが当たり前となった今、「箱男」が幻と化した27年前よりも、もちろん原作が書かれた51年前よりも、人間はずっと個別の目立たぬ箱に紛れ込みやすくなっている。
箱男になろうと思い立ったとしても、適当なサイズの段ボールもガムテープもドンゴロス(コーヒー豆を入れるような麻袋)もいらない。
手元の画面を指先一つで操作するのみ。
それだけで、世の中を易々と覗き見ることができるのだから。
こうして時間の経過がよい塩梅にすべてを熟成させ、奇跡とも必然とも言える僥倖の力も添えられ多方面から味わいを深める結果となった本作だが、もう一つ、石井監督のもと、永瀬正敏と佐藤浩市の二人が前回同様再び顔を合わせていることも感慨を深める大きな要因に。
遠いあの日、ドイツで失意に暮れた彼らが巡り巡ってまた、同じ作品に27年分の月日を重ねた末に出演することの意味を思う。
互いの内に降り積もった時間や経験を土台としながら、そこには時代によって変わってしまったことと、まったく変わっていないことが、確実に混在しているはずだ。
期せずして生まれた、同じ顔触れによるハイブリッドで多層的な味わいの妙よ。
もう一点、石井作品における永瀬正敏×浅野忠信といえば、2001年の短編「ELECTRIC DRAGON 80000V」を思い出さずにはおれない。
SFでこそないものの、今回の「箱男」には、竜眼寺盛尊(浅野)VS雷伝仏蔵(永瀬)の因縁の対決のその後とも思える箱男と箱男のある種パンクな死闘が!
それもまた歳月を重ねてより、ありがたみと痛快さがじわじわと込み上げるお楽しみの一つだ。
本作から滲むおかしみの大きな部分を、これら一連の荒唐無稽な争いや、浅野忠信演じる偽医者の言動の一つ一つに見出すことができる。
「ELECTRIC DRAGON 80000V」との共通項で言えば、キャストやスタッフのクレジットに、恐らく各人の手による自筆の文字が使われている点も見逃せない。
深読みかもしれないが、だれもが容易に箱男になり得るデジタル全盛のこの時代に、匿名ではない個々人の名前や存在を確かに記し、残すことの意味を訴える一つの仕掛けなのかもしれない。
日々ネットを騒がす、名前を明かさぬ誰かによる、特定の誰かへの激しい中傷。
そんな炎上文化に辟易し、疲労しつつある今を生きるすべての人に、箱に入ることの覚悟と意味、あるいは快感と恐怖を、体感してほしい。
小さな箱の中から壮大な宇宙を眺める「箱男」という名の《マジカルミステリーツアー》へ、あなたもぜひ。
* 今秋、A PEOPLEより永瀬正敏の著書「NAGASE Nagase Stand on that land ある俳優に関する考察」が発売される。
箱男
監督:石井岳龍
出演:永瀬正敏/浅野忠信/佐藤浩市
2024年製作/120分/日本
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2024 The Box Man Film Partners
8月23日(金)より新宿ピカデリー、ユーロスペース、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー