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review

青春

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相田冬二


ワン・ビンは、ほんのすぐ先の未来に向かって
前進していく後ろ姿を追いかける

ゴダール作品でお馴染みのカロリーヌ・シャンプティエを撮影監督に招き、ワン・ビンとしては例外的な流麗な映像で60分という尺に収めた「黒衣人」。

対して「青春」は手持ちカメラで215分という従来通りのフォーマットである。どうやら3部作として構想されているらしく、本編が第1部なのだとすれば、全て揃う時には、あの怒濤の処女作「鉄西区」をも上回る上映時間が想定される。

「春」という章立てを思わせるサブタイトルも挿入されていたので、ことによると4部構成もあり得るだろう。

だが、本作が重量級の作品かと言えば、そんなことはない。もちろん題材はシリアスだが、ワン・ビンのフィルモグラフィの中で最も観やすい映画かもしれない。映像に向き合うことのヘヴィネスは、あまり感じられない。なぜか。

登場する人物が、ハイティーンから20代前半の若い労働者ばかりだからだ。彼女ら・彼らは出稼ぎに来て、住み込みで働いている。悲痛な貧困が前面に押し出されることはない。

その意味で、タイトルの「青春」は決して逆説的なものではなく、そのまま受け取ってもいいのではないかと思うほどだ。

メイドインチャイナ。ファストファッションを身に纏うわたしたちは、タグにあるその表記を人生で幾度も目にしている。

では、それを作っているのはどんな人たちなのか想像したことがあるだろうか。

たとえば中年女性。なんとなくそんなイメージはないだろうか。本作でも中年女性の姿は若干映るが、被写体のほとんどは若者である。

これほど膨大な人数の若者たちが衣服を縫っていることに、わたしたちは驚くだろう。湖州市のとある町にある衣服工場。

映画のメインステージは、ミシンのある労働の場そのものだ。基本的にそれ以上、立ち入らない。これがワン・ビンの厳格な態度である。

何人もの若者が紹介されていくが、踏み込まない。たとえば、どのような事情で働きに来たのか。実家は、家族構成は、そして家族愛は、といった、この手のドキュメンタリーの定番の質問を投げかけない。

根掘り葉掘り訊くことがない。語りたくないことを無理矢理語らせ、それを安直な社会的メッセージに転換して、個人の尊厳を踏み躙るありがちな記録映画の愚を犯さない。

おそらくインタビューらしいインタビューもしていない。彼女ら・彼らが、自分のことを話す瞬間は、ない。ただ働いている様を、無造作に晒しているだけである。

働きながら、同年代の同僚とおしゃべりをし、同年代の異性を口説き、嫌がられ、取っ組み合ったり、罵倒したり、部屋から部屋に移動したり、たまに外に出たりする様が、捉えられているのみである。

そんな日々の表側にある細部と同じように、賃上げの要求が見つめられ、その挫折が描写される。過酷な労働環境を拡大することもなければ、無視することもない。デフォルメもなければ、美化もない。

映画を観るわたしたちが直面し、発見するのは、そのようなわかりきった情報ではなく、たとえばホストのように美形で、垢抜けていて、ファッションもイケてるような若者たちが、さしたる苦悩も浮かべずに、淡々と日常を送っている姿である。

ワン・ビンは、人間の移動を丹念に掬い取り、それを映画に残す。

「黒衣人」の冒頭もまさにそうだったが、「青春」では、工場を基点に、そこから移動していく若者の後ろ姿に追随する。

さして劇的なことが起こるわけではない。いや、劇的なことなど何一つ起こらないのに、ワン・ビンは移動する後ろ姿を凝視する。若者たちの過去や背景は描かない。しかし、ほんのすぐ先の未来に向かって前進していく後ろ姿を追いかける。

その未来にいいことなど何も待っていないように思えるにもかかわらず、顔の見えない前進を背後から見届ける。

何度も何度も、そうした動的な映像が出てくる。まるで青春の徴(しるし)のように。

これまで考えたこともなかったが、ワン・ビン(56歳)は、ジャ・ジャンクー(53歳)やロウ・イエ(58歳)と同世代なのだ。

「青春」には、「一瞬の夢」や「スプリング・フィーバー」がよぎる場面があり、このことにも驚かされた。

それぞれ孤高の作家ではある。だが、現代中国を切り取る監督としての目に見えぬ連帯はあるのかもしれない。これもまた、大いなる発見であった。


「青春」
監督:ワン・ビン
2023年/212分/フランス・ルクセンブルク・オランダ合作
原題:Youth (Spring)
第24回東京フィルメックス にて上映


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