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白塔の光

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相田冬二


故郷が異次元になる、
チャン・リュルはそれを光と呼んでいる

「映画を撮ることとは、すでに知っている何かを撮りに行くことではなく、知っていることと知らないことの間に存在する何らかの関係を探しに行くことだ。劇映画がそうであり、ドキュメンタリー映画もまた同様である」

山形国際ドキュメンタリー映画祭2023インターナショナル・コンペティション審査員として来日したチャン・リュルが、「審査員のことば」として公式カタログに寄せた全文である。

簡潔だからこそ、無限のひろがりを有する概念。

対象と自己。客観と主観。到達と出発。復路と往路。旅がもたらすリレーションシップ。

わたしたちは何も知らないわけではない。しかし、全てを知っているわけでもない。

何かを知っているからこそ、旅に出ることができるし、何か知らないことがあるからこそ、旅から帰ってくることができる。

移動の距離ではなく、アウェイの場所に佇むことを優先するチャン・リュルの映画は、ロードムービーではなく、滞在からもたらされる情緒が作品の主眼となる。

滞在は、始まりと終わりとのあいだにある中間地点であり、意識と無意識のはざまで宙吊りになっている時間である。

一週間滞在した山形で、長編、中編、短編あわせて40本の映画を観た。その最終盤に、チャン・リュルの最新作「白塔の光」に遭遇した。「白塔の光」以外はすべてドキュメンタリーである。

その時点で、冒頭の「ことば」は未読だったが、いま目の当たりにすると、「白塔の光」へと至るチャン・リュル作品はもちろん、ありとあらゆるドキュメンタリー映画に言えることだと確信する。

ある程度、フォーマットと構造が定まっている劇映画に較べ、ドキュメンタリーは映像と観客の距離が近く、時に暴力的でもある。フィルターのありようが保守的ではなく、ノンフィルターみたいなものもある。

言ってみれば、異郷の地で生水を飲むような感覚。結果、自分が何を知っていて、何を知らないかを、試されるようなところがある。

しかし、それは必ずしも緊張感ばかりではないだろう。アウェイには、ホームにはない解放感がある。鷹揚に言ってしまえば、それは好奇心と呼ばれるものである。

チャン・リュルの映画は決してドキュメンタリーのように強烈に何かを突き付けてくるわけではない。しかし、一般的な劇映画がキープする保守的なスタイルには組みしない。旅や夢のモチーフがヒエラルキーなしに混在し、それらは常に途上の風情でそこにある。

何も始まっていないし、何も終わっていない。旅の途中、夢の途中、全ては中途半端なままだ。だからこそ、観客の好奇心が試される。

【劇】にしろ【物語】にしろ、私たちは起承転結的なものに慣らされており、それがカタルシスを醸成すると信じて疑わない頑さがある。チャン・リュル作品は、それを穏やかに解きほぐす。いわゆるクライマックスはないし、逆に言えば全編クライマックスとも言える。緩急のような凹凸に依存することがなく、全てはフラットだ。

なぜなら出来事も物事も、あらゆるものは途上にあるからだ。実はこの感触がドキュメンタリーに近い。劇映画を模すことのない真正のドキュメンタリーは、結論を有しない。結末などない。状況も問題も人生も自然も世界も、ただ続いていく。

監督が30年暮らした北京にカメラを向けた「白塔の光」は一見、故郷を描いた映画に映る。近年、韓国を活動拠点としていたチャン・リュルの【帰還】として本作を捉える向きも少なくないだろう。

グルメライターの主人公は、離婚後、まだ幼い娘を姉夫婦に任せて、一人暮らしのようなことをしている。一緒に仕事をしている若い女性写真家と、微妙な距離感で時を過ごしたりしている彼は、義兄の密かな導きで、永らく行方知れずだった父親に逢いに行く。

ある事件で、家を出ることになった父親。彼を追い出した母親ももう墓の下。想いは複雑だが、積年の惑いを終わらせるため、彼は旅に出る。

近作に較べれば、しっかりとしたストーリーテリング。円環を結ぶようなエンディングにも安心感がある。

再会する父親を演じるのは、ティエン・チュアンチュアン。そう、シルヴィア・チャン監督の「妻の愛、娘の時」でシルヴィアと夫婦に扮し、俳優としてもかなりイケてる存在感を発揮したあの監督である。本作でも寡黙なのにチャーミングという絶妙なテクスチャで、映画を支える。人物が抱える悲劇を悲劇にしない演技アプローチは味わい深い。

「青い凧」で知られるティエン・チュアンチュアンに凧を揚げさせるシチュエーションも粋だ。チャン・リュルは傑作「春の夢」で3人の韓国人監督を共演させ、見事にローリングさせたが相変わらず非凡な采配だ。

主人公以外全員、メリハリの効いたキャラクターなのは異例と言えるだろう。逆に言えば、これは主人公のとりとめのなさだけを覗き込む作品なのだ。

明瞭な構成ながら、タイトルにある白塔の存在が、私たちをチャン・リュルならではの時空に連れていく。影が出来ない、とされる奇妙なカタチの白亜のタワー。北京の西城区に実在しているとはにわかに信じがたいフィクショナルな白塔は、映画の中心に位置しているようでもあり、画面のいたるところに無数に遍在しているようでもある。

白塔は、主人公を見つめている。それを、私たちは知っている。しかし、白塔がなぜ、彼を見ているかを知らない。私たちは、知っていることと知らないこととの間にある何らかの関係を探しに行くことになる。

故郷が異次元になる。
父親が初めて逢う人になる。

チャン・リュルはそれを光と呼んでいる。

これは、映画と呼ばれるものと私たちのまなざしの関係についての優しき考察なのだ。

日本での劇場公開が待たれる。


白塔の光
監督・脚本:チャン・リュル
出演:シン・バイチン
原題:白塔之光 The Shadowless Tower
2023年/144分/中国

山形国際ドキュメンタリー映画祭2023にて上映済み


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