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福田村事件

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賀来タクト


すなわち「物語」で語る
「ドラマ」として魅せる

森達也がまたも日本の暗部に目を向けた。
それも、劇映画という形で。

そのトピックを第一にする観客にとって、この作品はまず期待を削ぐことはないのではないか。

題材は、1923年9月6日、関東大震災の発生を契機に起こった朝鮮人や社会主義者への迫害、その狂騒に巻き込まれた被部落差別の人々をめぐる実話。

なぜ日本人が日本人を殺すという悲劇に至ったのか。
長く封印されていた史実をつまびらかにしようとする森の製作動機には、彼の著作や対談本の題名がそのまま当てはまるだろう。

たとえば「すべての戦争は自衛意識から始まる」「『自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか』と叫ぶ人に訊きたい:正義という共同幻想がもたらす本当の危機」、あるいは「死刑 人は人を殺せる でも人は、人を救いたいとも思う」「戦争の世紀を超えて/その場所で語られるべき戦争の記憶がある」等々。

いかに善良な人間でも、集団化したとき、ひょんなことで暴徒と化す。
対象をめぐるテーマは全くブレていない。

福田村で起きた惨劇は、森の問題意識にそぐうだけでなく、今日の読み手/観客に彼なりの持論をドラマ形式の中で示すことができる格好の素材であった。

換言するなら、現代の縮図がこの虐殺事件にはある。
観客によっては一種の教材的気分も漂っているように見えるだろうか。

一般の映画ファンなら過去の社会派監督の業績を連想させる企画でもある。

今井正の「真昼の暗黒」「キクとイサム」「橋のない川」、熊井啓の「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」「日本列島」「帝銀事件 死刑囚」「地の群れ」、山本薩夫の「松川事件」「真空地帯」「日の果て」あたりが脳裏をかすめるのではないか。

関東大震災の朝鮮人迫害を描いたということでは、小森白監督、天知茂主演の新東宝作品「大虐殺」を思い浮かべてもいい。

ただ、森はいたずらに「加害者」を告発するだけではなく、「被害者」への憐憫にとらわれることもなく、まして殺戮を残酷ショーのような見世物にもしない。

どこまでも事件を「正視」しようとしている。

冷静なのだ。
結果、フィックスを中心にしたカメラワークは映像の見やすさを確保しており、あわせて広い客層を獲得するに足る品性も伴った。

恐らく、森達也という名を知らずとも、誰もが普通にこの物語に接することができる。

もしや、これまでの森のどの記録映画、著作よりも一般性が高い作品になっているのではないか。

「森達也」という個人名を抜きにこの映画を見た場合、「森達也作品」としての認識がどこまでかなうかというとちょっと怪しく、だから「作家映画」としては弱いのかもしれない。

森の記録映画のシンボル的手持ちカメラの粗野な動きもほぼなければ、森自身がナレーションなどで顔を覗かせることもない。

森ファンからすれば、エゴの抑制がもどかしく映るだろうか。

裏返せば、なんのこだわりもなく、事件のあらましがわかる作品といえ、劇映画としての本分も堅実に守られ、打ち出されている。

すなわち「物語」で語る。
「ドラマ」として魅せる。

「ウソ」をバイアスにして「マコト」をあぶり出す。

作品の「商業性」を維持するという点では、これまでのドキュメンタリー作品と比べてもその志向に変化はないわけだが、劇映画という形を持ったことで森の本懐が明瞭になっている部分もあるだろう。

荒井晴彦、井上淳一ら、若松孝二の配下にいた面々が脚本を編み、座組も形成。

そこに招かれる形となった製作背景を思うと、もとより「作家映画」と「雇われ映画」の二面性を備えた作品だった。

「性」があって初めて「生」であるかのごとき荒井メソッドは、ここでは咀嚼されるまでには至っていない。

明らかに演出のブレーキがかかっている。
それを消化不良とみるか、森ならではの生理が働いた結果の誠実と考えるか。

いずれにせよ、大きな葛藤であったろう。
ただ、そんな「不自由」も、考えようによっては演出家としての嗜好や立ち位置を明瞭にする機会になったともいえ、これまた森の作家性を考える意味で興味が尽きない。

一方で、事件そのものはタブー視されてきただけあって、平たく言って衝撃的であり、予備知識なく映画館に入った観客は、それこそ「謀殺・下山事件」における線路脇の隆大介同然の恐れを知ること請け合いである。

その意味では観客は事件の目撃者だ。
人間がゆがむ瞬間がここにはある。

そこから目をそむくことはできない。
そむけてはならない。

森は記録映画で手兵にしたカメラを、もしかしたらこの初長編劇映画で観客に託した部分もあったのではないか。

「事件」が常に今そこにあることをより自覚してもらうために。

一見、受け身の鑑賞に終わりがち、しかしその実、観客の能動性が強く求められる作品。

試金石の側面もあるだろうが、記録映画ではできなかったことも確実にかなっているのではないか。

ほどよく抑制された森達也の劇映画は目に映る以上に視野も思慮も広い。

そこに何を読み取るかによって、事件をめぐる解釈も一層の重みを獲得できるに違いない。


「福田村事件」

監督:森達也 脚本:佐伯俊道/井上淳一/荒井晴彦 出演:井浦新/田中麗奈/永山瑛太 2023年/137分/日本 配給:太秦

9月1日(金)よりテアトル新宿、ユーロスペースほか全国ロードショー


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