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賀来タクト
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丸谷嘉長
劇映画という選択肢は広がった
そうなったら嬉しいですけどね
――「福田村事件」という劇映画は製作陣の取り合わせ=座組のユニークさが目を引く作品であります。荒井晴彦さんを筆頭に、いわゆる若松プロダクションと関わりの深い面々と、ドキュメンタリー作品で気を吐いてきた森達也が組んだ。そこにどんな利害関係があって今回のようなタッグが成立したのかという興味が募ります。
ひとつには、荒井さんたちがこの事件を知った理由というのが、中川五郎さんが歌った〈1923年福田村の虐殺〉であり、その中川五郎さんは僕の本「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」(ちくま文庫刊)を読んで事件を知った。荒井さんたちからすると「(中川五郎の歌の)ソースは森達也で、その森も(映画化の)企画書を持ってウロウロしているようだ」と。「だったら、一緒にやるのが筋だよね」と思われたんじゃないかな。大手の映画会社が出資してくれそうにない(題材だ)し、(製作費を)自分たちで集めるしかない。その意味では「森を神輿にして担いだら多少は集まるのかな」と考えたんじゃないかと。荒井さんに直接、訊いたわけではないけれど。
――森さんからすれば、荒井さんが用意されていた製作体制に参陣することがメリットとして大きかったということでしょうか。
2018年くらいだったと思うけれど、劇映画化を思いついて、簡単なシノプシスと企画書を手に映画会社をいくつか回った時期がありました。結論から書けばどこも興味を示してくれなかった。その段階で僕としては、もう打つ手がない。時代劇で群像劇ですから、一人でこの映画を撮ることなど不可能であることは僕にもわかります。でも今の座組に合流してクラウドファウンディング(で資金集めをする)という提案をされて、「そうか、その手があったのか」と思いました。プロデューサーたちもそれぞれ人脈はあるから、出資先探しに奔走してくれた。特に僕の場合、これまで一人とか少人数(で映画を撮ること)がほとんどで、これだけの(人数のスタッフを抱えた)チームは初めてでしたので、いろんな提言もしてもらえたし、「なるほどね」と思うこともあって、それは大きなアドバンテージにはなりました。
――森さんにとってこの作品は長編劇映画デビュー作ということになりますが、デビュー作としてはリッチな空気があるといいますか、苦しい台所事情であくせく作ったような印象はありません。
東映京都、松竹京都でやらせてもらいましたからね。どちらも僕には全くツテがないところです。いろんな経験をしているプロデューサーが「東映の○○さんに電話をしたら無理をきいてくれるんじゃないか」とかいろいろ試行錯誤してくれて。そこはチームの強みですよね。僕ひとりでやっていたら無理でした。
――劇映画を撮るという意識の上では、少しギアを変えるだけのものだったのか。それとも、全く意識を新たにして臨んだ現場だったのでしょうか。
これまでドキュメンタリーを撮ってきましたけど、それ(ドキュメンタリー製作)を自分で選んでやってきたわけではありません。テレビドラマを作るつもりで入ったら、そこがドキュメンタリーを作る番組制作会社だったというだけで。それ以前、学生の頃は映研で8mm(の自主映画)を撮っていましたし、自分の中ではドキュメンタリー一筋というわけではなく、何年か前にはテレ東で30分のドラマを一本やりましたから。だから(劇映画作品を撮ることに関して)全くの素人というわけではない。そこにあまり構えはなかったです。
――芝居をつけるという感覚についても同様でしょうか。
昔、新劇の養成所にいて舞台もアトリエのレベルだけどやっていましたから、自分としてはそのあたりも心得ているつもりでしたし、身構えるようなことはなかったです。とはいえ、やっぱり緊張もあったかな。俳優たちとの距離がなかなかつかめなくて。コロナ禍ということもあって、距離を詰めることが充分にできなかったです。
――カメラに関してはいかがですか。画角、カメラワークといったところは。
僕の場合、これまでの作品ではほぼ自分がカメラマンだったわけです。「FAKE」では(撮影技師の)山崎裕さんに一部のシーンで助っ人をお願いしたけど、基本は僕のカメラです。今回は座組がすでに出来上がっていたので、僕が指名したカメラマンではないし、そもそも劇映画のカメラマンってそんなに知らない。だから、言われるがままにやりました。いくつかギクシャクした場面もあったけど、カメラマンから「ここはこうでどうですか」と言われて「なるほどね」というのもずいぶんありました。
――カメラマン(撮影技師は桑原正)からの画角や動きの提案を承認する形で進められた感じですか。
いえ、どちらかというと僕の方からイメージを伝えて、それを受け入れてもらえたり、桑原さんから「そのイメージならばこうしたらどうか」というアドバイスを受けたり、というような感じですね。
――映像だけを拝見すると、森さんが作っている映画という認識ができないような感触があります。整然としていますし、どこか品もあります。
僕のカメラは品がないってこと?まあ少し前に原一男さんから君のとる画には美学がないと断言されましたから。確かに混沌ですよね。(沼部新助役の)永山瑛太さんには「監督がカメラを回しながら演出するのかと思っていました」って言われました。もちろん半分は冗談だけど。いずれにしても、ドキュメンタリー的な手法にこだわる意識はまったくなかったです。
――森さんは立教大学のご出身で黒沢清さんらとの映画作りにかかわられています。多かれ少なかれ、そのような背景を持つ映画人というのは「立教臭」がするものですけど、森さんはそこから免れていますし、今回の映画にはそういうたぐいが一切ありません。何らかの手法に拘泥しているような気配がない。
今はどうか知らないけれど、当時立教大学で教えていた蓮實重彦さん(文芸・映画評論家)の影響は、彼らにとって大きかったようです。僕は一度も授業を受けたことがない。学生時代は麻雀ばかりやっていたし、途中から新劇の養成所に通っていました。高校時代からアメリカン・ニューシネマが大好きだったけれど、黒沢清さんたちはどちらかというとヌーヴェルヴァーグだったと思います。あと何よりも、彼らは劇映画一筋ですけど、僕はドキュメンタリーの世界に入ってしまったので、その意味でも違いは多くなったのかな。
――そこが新鮮といいますか。「立教臭」がないだけでなく、作家としてのエゴが前面に出るような気分が手法の面でもありません。映像的にはおとなしいくらいです。
今回はなるべく徒手空拳でいこうと思っていたところもありますけど、撮影と編集を通じて脚本部とは、かなり議論がありました。一人で孤立状態だったので、押し切られたり説得できなかったカットやシーンはいくつかあって、それは今もつらいです。エゴを出せるような状況ではなかった。
――気になるのは映像的な部分です。この映画には映画作家がエゴをむき出しにするような無茶なカットや撮影手法が見当たらない。どこかあとで編集がしやすいような、やり直しもきくような画の撮り方を意識されているような気さえします。
そう感じましたか?編集のしやすさとかはまったく考えてないですよ。ただ、現場で思いついて撮ったシーンはほとんど使えなかった。チームのメリットも大いにあったけれど、逆にチームの圧みたいなものもあって。こんな状況で監督はできないと何度も思いました。これは自分の作品ではないとメインスタッフ全員に宣言したこともあります。特に編集の終盤は本当に苦しい体験でした。……まあこれを言い換えれば、これまではエゴをほぼ100%出してきたので、良い体験だったと後で思えるかもしれない。
――ハリウッド映画ではないですが、編集でいかようにも直しがきくようにフルショットからクローズアップまで、ひと揃いの素材を撮らなければならないような条件などもあったのでしょうか。
いえ、そこまではありません。時間的にも経済的にもゆとりはなかったですから。僕も編集(でどうするか)まで考えてやっていなかったです。
――何を申し上げたいかというと、森さんの作家的自由がどこまであったかということです。
特に前半から中盤にかけては、「森らしさが全然ない」と試写で観た何人かに指摘されています。わかってます、そんなこと。ただ、後半はほぼ僕の思うとおりにできました。いくつか、使いたいカットが使えなかったこともありましたけど、虐殺(の場面)が始まってからは、自分の意図でかなり編集できていますね。
――虐殺の描写も、単なる流血描写に終わっていません。どこか抑制がきいている。作り手によっては、劇的興奮をあおろうとするあまり、もっとズルズルとしつこく残酷ショーのように描く可能性があったかもしれません。でも、今回、性描写も抑え気味ですね。そこに森さんという映画作家を読み解く鍵も潜んでいる気がします。
今は子どもを殺す描写なんて海外でもまず無理じゃないですか。それはともかくとして、(子どもまで殺す虐殺があったのは)事実だから、そこはそのまま見せようと思いました。あと、モンタージュの基本は「省略」です。つまり「ないもの」を想像させる。その考え方は虐殺シーンでも同じです。ギリギリを攻めたつもりでいます。(カメラマンの)桑原さんには「(虐殺のシーンは)できるだけ手持ちでいきたい」と伝えました。前半から中盤はフィックスが多いです。そもそも、僕は(ドキュメンタリー畑でやってきたこともあり)これまで、ほとんどフィックスで撮ることができなかった。一人が多かったので、三脚を立てて撮っていたら、急な状況の動きに対応できなくなる。だからこの映画を撮るときは、「しっかりフィックスで撮るぞ」という気持ちがありました。フィックスで撮るというのは、僕の中で「憧れ」だったんです。
――雑誌「映画芸術」のインタビューでは絵コンテを描かれようとしていたとおっしゃっていましたけども。
劇映画はそういうものだと思っていたんです。でも、周りから「それはフィルム時代の話で、しかもこの映画は低予算だからセットの建て込みも確認できないし、現場に行って全然違うこともあるから」と。「あまりちゃんと絵コンテを描かれてしまうと困っちゃうよ」と言われて止められました。
――フィックスで撮りたいという気持ちが絵コンテの準備につながったのでしょうか。
それはあるかもしれない。自分のこれまでの作法にはこだわっていませんでしたから、捨てるものは捨てていこうと。
――性描写に関しては荒井さん側からの発案だと伺っております。森さんとしてはいろいろ思うところはありつつ、映画の後半へとご自身の意志をなんとかつなげていったという感じでしょうか。
(虐殺の)加害者を描こうというのは大前提にあったわけです。それをしっかり描くために彼らの日常、喜怒哀楽という些末な部分を描かないといけないだろうと。ただ、僕自身としては(性描写に関しては)トゥー・マッチだったかなと。むしろ、なくてもいいくらいに思っていた。でも、荒井さんから「お前、日常を描くのに村人の性がないというのはあり得ないだろう」と言われて、まあ言われたら確かにそうですよね。……現場では抑え気味に撮りましたけど、荒井さんからすればもっとやってもいいと思っていたかもしれない。
――主人公の澤田夫婦(井浦新&田中麗奈)という架空の登場人物が出てくるというのは森さんの発想ですか?
あれは僕が「監督をやってくれ」と言われ、チームに迎えられたときかその直後くらいには、もう決まっていたように記憶しています。最初の段階で、井浦さんが主演であることはもう決まっていたのかな。井浦さんは若松プロの看板俳優ですから。そこから逆算して朝鮮帰りの人間を(物語に)入れようとなったんだと思いますし、僕もそれはいいアイデアだなと思いました。加害側、被害側だけでなく、そこに異分子を入れることで物語も活性化するだろうと。
――澤田夫婦に関しては、新聞記者の恩田楓(木竜麻生)と同様に、ドキュメンタリー作品でいうところの森さんの目線=カメラの役割を果たしているのではないかと感じました。だから、森さん発想の登場人物なのではないかと思ったわけです。
言われてみれば確かに、あのふたりは狂言回し的なところも担っていますから、ドキュメンタリーにおけるカメラになっているかもしれません。でも二人は二人でラストに繋がる重厚な別のドラマも抱えているから、単なる狂言回しではもちろんない。やはり主演なんです。
この映画の企画書を持って一人で映画会社を回っていた時期に書いたシノプシスの最初のシーンは、震災直後から始まっています。史実では、生き残った少年を野田の(福田村を管轄する)警察官が自宅でしばらく面倒を見ているんです。そこからインスパイアされたわけではないですけど、当時、朝鮮人をかばう人も結構いたので、そういうところから話を始めようとしていましたね。
――方法としては、回想形式だったわけですか。
回想形式って好きじゃない。そこからズバッと始めようと。だから、虐殺シーンそのものはなしでもできるんじゃないかって思っていましたね。全くの浅いレベルでの考えでしたけど。その後、脚本部と何度もミーティングをやって、加害の側の日常や喜怒哀楽をしっかり描くためには、時系列で描くことがいちばんいいと納得しました。準備稿ができたのは、僕が合流してすぐの頃です。
――澤田智一(井浦新)は不能者として登場しますが、もしや最後は静子(田中麗奈)とのセックスを取り戻す描写で終わるのではないかと思いました。荒井さんのチームなら、設定上、そうしかねないのではないかと。
うーん、それはわからない。荒井さんに訊いてください。
――森さんの中でかなりの製作上の相克があったと推察します。仕上がった作品の手ごたえを含め、そのあたりはご自身としてはどうどうとらえておられますか。作家としてこの劇映画で語った物語は物足りないものだったのか、もしくは逆に描くべきものが多すぎたのか。
どちらかというと、多すぎたのかもしれない。この映画を「森らしくない」と言った人たちの言い方を借りるなら「あそこまで説明しなくていいじゃないか」と。僕はドキュメンタリーでは「欠落をつくること」で想像させていたわけです。その「欠落がないじゃないか」という理屈ですね。さっきの「省略」の話ではないですけど、そこは確かに僕のカラーではない。
――だからこそ、逆にこの作品が今後の劇映画作りへの起爆剤になっている節はないでしょうか。一種の反省材料、反面教師として。
もう終わったこと。今もうじうじと考えています。映画はディテールですから、入れることができなかった1カットがとても悔しい。でもクラウドファンディングで多くの人から支援されたのに、投げ出すことはできない。その意味では「肥やし」にするしかないですね。次があるのなら、この経験を踏まえていかないと。
――今回の作品は劇映画監督宣言なのでしょうか。
実は今、ドキュメンタリー作品を一本、撮っているんです。コロナ禍前から動いているんですけど、僕の中では(ドキュメンタリーと劇映画の)こだわりはないので、テーマによって(どちらの方法でやるのかを)選ぶというか、あと何本やれるかわからないし、そういう感じでいいんじゃないかなと思っています。
――以前にはそういう選択は森さんの中に存在していたのですか。
以前はそういう選択肢を与えてもらえなかったといいますか。「森はドキュメンタリーの監督」と皆、思っていたし、そういう人間関係でしかなかったですから。劇映画を撮りたいとウズウズしていましたけど、なかなかそういう機会が見つけられなかった。「FAKE」をやったあとくらいで「次は劇映画をやりたい」という思いが強くなって、そのときにこれ(福田村事件)は劇映画向きじゃないかと思ったんです。でも、なかなか映画会社から芳しい返事をもらえない。そんなときにスターサンズの河村光庸さんから「新聞記者」を(劇映画で)撮らないかと誘われて。結果として(その劇映画企画から)僕は降りて藤井道人監督が引き継いでくれて、僕は代わりに「i~新聞記者ドキュメント」を撮ったわけですけど。
――今回の作品によって、選択肢は広がったと考えてよろしいですか。
僕の中ではね。実際にそうなったら嬉しいですけど。でも、どうだろう、こんな映画ばっかり撮っている監督は使えないと思われるかもしれない。かといって、自主映画(での劇映画製作)も嫌ですね。やりたくない。やっぱり、お金のこととか、いろいろ大変ですから。これ(「福田村事件」)も規模は大きく見えますけど、自主映画です。今回は(製作費が)1億円なのかな。ギリギリだと思います。自主映画で考えると大きい製作費ですけど、これだけの群像劇で、しかも(大正期を描く)時代劇。京都では合宿(をしての撮影)でしたから。
――森さんがもっと自在に作家性を発揮された劇映画を今後見たいと思う一方で、今回のような製作上の制約があったからこそ生まれた自由もあったのではないでしょうか。
制約が全くないといいかというとそうではない。制約があった方が新しい発想も生まれるでしょう。でも、制約で首を絞められることもあります。そこは一長一短ですね。
――現在の劇映画作家の問題を挙げるなら、問題意識の薄さがあると考えます。過去の映画作家のように体制やタブーへの問題意識が強固な語り口を生む時代ではない。でも、森さんにはそういうものが満ちている。そういった部分へ期待を募らせる観客も出てくるのではないかと思います。
僕はそこまで社会派ではないし、問題意識を振りかざすつもりもないです。やっぱり、映画ってエンターテインメントだと思うので。(ドラマの)終盤、手に汗を握りながら、予想外の展開に息を呑むっていうのを、今回の映画でもできたんじゃないかなって思っているんですけど。
――この「福田村事件」は娯楽映画ですか。
エンタメを娯楽と訳すか、人の感情を動かすものと訳すか、でしょう。もちろん、(「福田村事件」は)娯楽だけじゃないですよ。ただ、入り口は娯楽の方が間口は広くなりますから。
――「映画芸術」のインタビューでは「次はホラー」とおっしゃっていましたが。
週単位で変わります。次の週には、イ・チャンドンの「オアシス」みたいな恋愛映画を撮りたいと思っていました。まあでもホラーについては、割と本気ですよ。ホラーって映画の王道だと思っています。一本くらいやりたいですね。
――森さんがお好きな映画作家となると、どなたになるのでしょうか。
ひとりだけ挙げるならアラン・パーカーかな。若い頃に見た「ミッドナイト・エクスプレス」は強烈でした。他にも「ミシシッピー・バーニング」とか「ザ・コミットメンツ」とか。「バーディ」も大好きです。社会派の監督と思いたくなるけれど、彼は「ダウンタウン物語」も撮っているし、「小さな恋のメロディ」の脚本も書いている。遺作はブラックコメディアの「ケロッグ博士」。社会派というだけの人じゃない。
――アラン・パーカーとは昔、話す機会があったのですが、とても明るい人物でした。
本当ですか。意外です。……でも、僕も明るいですよ。よくインタビューが終わってから、「普通の方だったんですね」と言われます。「急に怒りだして机をひっくり返すような人だと思っていた」と。この外見とこれまでのキャリアを見てそう思われたんでしょうけど、全然そんなことありません。明るくて優しい普通の人です。
「福田村事件」
監督:森達也
脚本:佐伯俊道/井上淳一/荒井晴彦
出演:井浦新/田中麗奈/永山瑛太
2023年/137分/日本
配給:太秦
9月1日(金)よりテアトル新宿、ユーロスペースほか全国ロードショー