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相田冬二
初々しく、みずみずしい、情景が、生きている。
冒頭のカメラワークに魅せられた。
大家族のパーティーを、フレキシブルに動きまわるカメラが捉え、それぞれのキャラクターの機微を豊かに伝える。
いわゆる手持ち風のカジュアルな映像ではなく、しっかりレールを敷いて撮っているような落ち着いたアングルの動きが、家族のかたちを明瞭にしている点も見逃せない。
いわゆるドキュメンタリー風味は皆無ながら、被写体には手練れ感がなく、初々しく、みずみずしい。
情景が、生きている。
この生気は、風景の捉え方にもよくあらわれている。
キャストは、監督の親戚などの家族や、よく知っている人たちなのだという。
だからこその、生命力。
それと同じように、おそらくは、監督がよく知っている風景を見つめているから、この映画は、異国の景色でありながら、親近感を与えてくれるのだろう。
死にゆく老母と、息子たちの物語。
エドワード・ヤンの「ヤンヤン 夏の想い出」の円環構造を、映画好きなら想起するかもしれない。
だが、グー・シャオガンが捉える四季は、(彼自身が映画に目覚めるきっかけになったという)岩井俊二の季節感に近い。
横移動も、長回しも、野心にあふれたものではなく、どこまでもオーソドックスなのが、イマ風でもあるし、品の良さでもある。
ガツガツしていないのである。
これが監督処女作とは到底思えないのは、何かやってやる、というような自己主張が、まったくと言っていいほど漂わない点であり、だからこそ、次のようなシークエンスが、いつまでもこころに残る。
恋人たちが、手と手を取りあって、乗船する。
それを、ワンカットで捉えることで、過去から現代へ、現代から未来への橋渡しがおこなわれる。
タラップの恋人たちの風情は、くらくらするほど美しく、クラシックな映画を観ているかのような錯覚にさえ陥った。
優等生かもしれない。
正統派かもしれない。
しかし、ここまで健全な映画監督が登場したことを、こころから祝福したい。
たとえば、ビー・ガンとはまるで違う文脈から、中国映画のこれからが浮かび上がる。
三部作として構想されているという。
地味に、着実に、淡々と、彼は、ちいさな叙事詩を完成させるだろう。
また、ひとつ、映画を愛でる愉しみが生まれた。
監督・脚本:グー・シャオガン
出演:チエン・ヨウファー/ワン・フォンジュエン
2019年/150分/中国
原題:春江水暖 Dwelling in the Fuchun Mountains
配給:ムヴィオラ
©2019 Factory Gate Films. All Rights Reserved.
2月11日(木・祝)Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開