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グー・シャオガン

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相田冬二


過去と現代と未来の融合

独創性と風格。通常であれば、キャリアを重ねた末に到達する共存が、ごくごく当たり前の顔つきでそこにある。

逆に言えば、処女作のみずみずしさより、しっとりとした落ち着きにこそ、「春江水暖〜しゅんこうすいだん」のオリジナリティは見てとれる。

ところが、zoomの向こう側にいる監督グー・シャオガンは、好奇心に満ちあふれた純粋な若者だった。

尖ったところなどまるでないし、かといって、妙な老成にも傾いてはいない。
きらきらと輝く瞳は、どこまでも無垢で、低姿勢だった。

──現代劇であることはわかっているのに、ときどき、ひどく昔の物語に感じたり、とても未来的な情景にも思えました。

つまり、時空や次元が、撮影行為によって超えられている。
現代が過去や未来と地続きにある作品ですね。

「あなたの感動に、わたしも感動しています。
ぼくとスタッフが映画の中で表現したかったことのひとつが、過去と現代と未来の融合と、その流れだったので。

伝統をいかに現代に落とし込むか。
古代中国の伝統的な絵画を、いかにして現代の空間にするか、とても悩んでいました。

映画の中で象徴的に描かれる樹は、実際にロケ地でシンボルとして存在する樹です。

その樹を見ていると、過去の人々の存在が思い浮かびます。
自分と、過去の人たちとのつながりを感じるのです。

この町の昔の写真を見ると、山や川は変わらずに存在しています。
町は様変わりしても、数百年前からあるこの樹と自然は、変わらずにそこにある。

なので、その光景を長回しでゆったりと捉えました。
観客に、過去に想いを馳せてほしかったからです」

──あなたが映像を通して可視化しているのは、人間たちだけではなく、時間そのものでもあると感じます。

「春夏秋冬という、わかりやすい四季の構成になっていることが、まず挙げられます。

四季は、自然や万物の中だけでなく、人間の一生の中にもあります。
生まれて、老いて、病気になって、亡くなる……たとえば、そんなふうに四季を捉えています。

自然の四季もそのように循環し、めぐっているのではないでしょうか。
それを見つめれば、時間を空間として表すことができると考えました。

町の取り壊しや、町の変化を映し出すことで、時代の移り変わりを伝えられる。
人物やキャラクターの変遷も、時間として捉えることができます。

たとえば、この映画には、現実の妊婦が登場しますが、人間の身体的な変化も、時間として捉えることは可能だと思うんです」

──手をつなぐというモチーフが何度か繰り返されます。
わたしには、それが、過去と未来が現在を通して、手をつないでいるようにも映りました。

「それはとてもユニークで、良い発想ですね。
言われてみると、過去に対しても、未来に対しても、何かしら、そのような気持ちがあったのだと思います。

ぼくのような若い中国人にとって、伝統文化は親しみやすいものではありません。
中国には、文化が分断された歴史もあります。

文化的なキャンペーンはときどき行われるものの、それらは形式的なものにすぎません。

どうすれば、過去を現代に融合させられるか、考えています。
日本は、それがよく出来ていますよね。

過去を現代にアップデートしているし、現代の人も過去に親しみを感じている。
ぼく自身のテーマは、そこにあります」

日常生活においても、できるだけ馴染みのない伝統文化を取り入れる試みを続けているという。

「春江水暖〜しゅんこうすいだん〜」には、スケールの大きさと親しみやすさも同居しているが、それは、この1988年生まれの監督が、マクロとミクロの接続を、等身大のまなざしで実現しているからに他ならない。

花が咲いているだけで、雨が降りはじめただけで、雪道がとけはじめているだけで、風が吹いているだけで感動できる映画は、なかなか現れない。

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「春江水暖~しゅんこうすいだん」

監督・脚本:グー・シャオガン
出演:チエン・ヨウファー/ワン・フォンジュエン
2019年/150分/中国
原題:春江水暖 Dwelling in the Fuchun Mountains

配給:ムヴィオラ
©2019 Factory Gate Films. All Rights Reserved.

2月11日(木・祝)Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開


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