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チャンシルさんには福が多いね

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相田冬二


ホン・サンスを殺し、キム・チョヒの世界へ

「ハハハ」「ソニはご機嫌ななめ」「自由が丘で」などのプロデュースを手がけていた女性が、長編監督デビューを果たしたとなれば、ホン・サンスとの作家的因果関係を探られることから免れるはずもない。

だからなのだろうか、キム・チョヒは「チャンシルさんには福が多いね」の冒頭で、いきなり、ホン・サンスのパロディをやってみせる。

愛らしいタイトルバック、大仰で深刻なクラシックの名曲、そしてフィックスの画面で捉えられたグループ飲み会の構図。

すべてが、モロにホン・サンスで、おいおい、新人監督がこんなアプローチで大丈夫か? と思っていると、曲芸は一瞬で終わる。

飲み会は、ひとりの映画監督と馴染みのスタッフたちによって行われていたが、監督は突然、テーブルの上に突っ伏す。

冗談かと思わせて、そのまま急死。

女性プロデューサーは無職となり、映画作りに未練を残しながら、なす術もなく、若い美人女優の家政婦として働きはじめる。

主人公は彼女だ。

映画監督が死ぬと、ホン・サンスのテイストも終わり、そこからは生き生きと、キム・チョヒのテンポで快調に進んでいく。

そう、「チャンシルさんには福が多いね」の監督は、劇中で「ホン・サンスを殺すこと」で自分自身を解放している。

いや、別に、ホン・サンスに恨みがあるわけではなく、〈儀式〉として必要なことだったのだろう。

映画の〈通過儀礼〉である。

作品そのものを〈通過儀礼〉として解釈すると、するすると浸透する。

アラフォーでフリーターとなったヒロインは、気の良い女優の相手をしながら、老婆である大家の相手をしながら、ささやかな日常の浮き沈みを、密やかに満喫する。

社会性も、清潔感も、女性らしさもある彼女はしかし、恋とは無縁で、女優のフランス語教師との道行きは、なんともたどたどしい。

いわゆる奥手の女性の、ありきたりのシンデレラストーリーを捏造するのではなく、それなりに積極性もある、真っ当な大人が、すってんころりん恋に転ぶ様を、レスリー・チャンの亡霊(!)を相談役に据えながら、繰り広げているから、知的好奇心を刺激される。

複雑なアレンジを施しながら、けれども、一聴ポップでキャッチーな、一級の音楽のような愉悦がここにはある。

気がつけば、ホン・サンスとは似ても似つかぬ、オリジナルな映画世界で、ニヤニヤしているのだ。

シネフィルをネタにしながらも、「イタさ」とは無縁のままでローリングする呼吸もお見事。

粋で軽快、名手の随筆を味わうがごとき読後感にも、深い余韻がある。

シニカルになりそうで、絶対ならないセンスも稀有。



「チャンシルさんには福が多いね」

監督・脚本:キム・チョヒ
出演:カン・マルグム/ユン・ヨジョン
2019年/96分/韓国
原題:Lucky Chan-sil

配給:リアリーライクフィルムズ、キノ・キネマ
©KIM Cho-hee All RIGHTS RESERVED/ReallyLikeFilms

2021年1月8日(金)より ヒューマントラストシネマ渋谷 ヒューマントラストシネマ有楽町 ほかにてロードショー

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