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相田冬二
レスリー・チャンはその象徴。自分を勇気づけてくれました
「チャンシルさんには福が多いね」で監督デビューを果たしたキム・チョヒ。
ずばり美人である。
しかも主演女優カン・マルグムに通じる美しさがある。
設定には自伝的要素もあるから、そこにはきっと響きあう何かがあるのだと思う。
キム・チョヒは、美化を施さない映画作家だ。
己を見据え、人物を見据え、映画を見据えるまなざしが、その第一作からは感じとれる。
だからこそ、やさしい。
──主人公は、かつて映画プロデューサーだったわけですが、「どんな仕事?」と言われて、即答することができません。
あなたもプロデューサーでしたが、あなたなら、なんと答えますか。
「映画において、プロデューサーとは、母親のような仕事です。
わかりやすく例えを考えてみると……映画をレストランだとすれば、シェフは監督。
シェフの作った料理をお客さんに届けるには、支配人のような統括するポジションが必要で、母親のような、レストランの支配人の気持ちで、映画を作っていました」
──あなたは、映画作りのよろこびも、大変さも、ご存知なのだと思います。
<母親>は産むばかりでなく、育てる存在ですから、温かさと厳しさが同居しているのでしょう。
この映画からも、そのことが感じられます。
無職女性のままならない日常を見つめながら、レスリー・チャンの亡霊を登場させることで、リアルとファンタジーを等価のものとして差し出す姿勢に、ある種の<母性>が見てとれます。
「40歳で、プロデューサーをやめたとき、いったん映画は諦めていました。
長編映画を監督する際には、自分自身の映画への想いを再燃させる必要がありました。
映画を初めて好きになった頃の<初心>を振り返りました。
そこには、香港映画があった。
その後、映画の世界を知るようになっていくにつれ、香港映画には深遠なものがないような気がして、そのことを忘れていたんです。
でも、映画を観はじめたときに魅せられたのは、単純に面白い香港映画だったのです。
レスリー・チャンはその象徴です。 ファンタジーが紛れこむことは楽しいことですし、自分を勇気づけてくれました」
──ご自身の原点を捉え直すという意味では、ファンタジーというより、自己探究であり、内面をめぐるドキュメントかもしれませんね。
ところで、劇中には、小津安二郎の「東京物語」の解釈をめぐって、ヒロインが意中の男性にいきり立つ場面があります。
映画の好みが一致することが人間関係のすべてではないのに、ときとして、そこに躍起になってしまうのが映画好きですね。
ここにも、あなたの厳しさとやさしさを同時に感じます。
「映画の趣味が合わなくてケンカをする経験は、映画が好きな人ならあると思います。
私も20代の頃はよくありました。
いまは、そんなふうに考えないので、あのシーンが撮れたのかもしれません。
あの場面を用意したのは、彼女がどれだけ映画が好きで、いままで生きてきたか、そのことを表現するためでした。
趣味が合うことより、相手の言葉に共感して、通じあうことが大切だと、現在では思っていますよ」
──この映画は、言葉を大切にしながら、言葉を超えたやりとりも、丁寧に見つめています。
「言葉で通じ合えることは大事なことだし、よろこばしいことだと思います。
でも、言葉では表現できない部分もあります。
創作者によっては、それは絵であったり、音楽であったり、小説であったりするでしょう。
私には、映画がそうでした。
俳優の表情、まなざし、影による伝達は、言葉を越えます。
音楽も文学も好きですが、私は映画というものの特殊な力を愛しています」
──小津の「東京物語」は何も起きない、と退屈を表明する劇中の男性は、クリストファー・ノーランのファンでした。
これは偶然の一致かもしれませんが、あなたの映画の聡明さは、「チャンシルさんには福が多いね」が決して<アンチ・ノーラン>にはなっていないことにも表れています。
むしろ、小津の深遠さと、ノーランの時空を突破する痛快さの融合が感じられるのです。
なかなか、そういう監督はいません。
「そんな絶賛は恐れ多いです。
私の監督デビューが遅くなった大きな理由に、自分だけのオリジナリティがなければ映画を作るべきではない、と思っていたことが挙げられます。
私の映画は、世の監督たちが有しているオリジナリティにはまだまだ到達できておらず、力不足だと思います」
──とても謙虚なあなたは、監督としての自分を大切にしながら、観客のことも大切していると、映画から感じます。
かつて観客であった、そして、いまも観客である自分自身のことも大切にできる。
そこが素晴らしいと思います。
「ありがとうございます、身に余る光栄です。
はい、観客を大事に思っています。
私は監督ですが、享受できる幸せは享受したい。
映画も大事ですが、幸せも大事です」
キム・チョヒが、インタビューの最後につぶやいた言葉に、彼女の本質がある。
ひとりの女性の本質が見出した真理が、「チャンシルさんには福が多いね」には、たしかに息づいている。
どうか届きますように。
監督・脚本:キム・チョヒ
出演:カン・マルグム/ユン・ヨジョン
2019年/96分/韓国
原題:Lucky Chan-sil
配給:リアリーライクフィルムズ、キノ・キネマ
©KIM Cho-hee All RIGHTS RESERVED/ReallyLikeFilms
2021年1月8日(金)より ヒューマントラストシネマ渋谷 ヒューマントラストシネマ有楽町 ほかにてロードショー