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相田冬二
こんな岩井俊二は初めてだ
映画の観客にとって重要なのは、出逢うタイミングである。
だから、いくら「チィファの手紙」が「ラストレター」以前に撮影されていたとしても、わたしたちが「ラストレター」を観てから「チィファの手紙」に出逢う事実は変わらない。
すでに「ラストレター」を観ている日本人は、「ラストレター」以後の映画体験として「チィファの手紙」を享受することになる。
だが、それは、幸福なことなのだと思う。
端的に述べよう。
いずれもタイトルに示されているように、モチーフは手紙である。
だが、手紙がかたちづくるものは、それぞれまったく違う。
はたしてそれは、中国と日本の文化的背景によるものなのかどうか。
「チィファの手紙」が最も大事にしたのは、ローカライズだったという。
つまり、日本では成立しても中国では成立しないことは、しない。
たとえば、主人公たちが過去を回想することになるこの物語において、日本人にとっての30年前と、中国人にとっての30年前は違う。
日本が辿ってきた30年間と、中国が辿ってきた30年間は、その意味が、その重みが、やるで異なる。
〈あの頃〉を振り返ることの、物語との関係性も、別なベクトルへと向かうことにもなる。
すなわち、「チィファの手紙」には「チィファの手紙」ならではの郷愁があり、「ラストレター」には「ラストレター」ならではの郷愁がある。
郷愁が違えば、手紙がもたらすものも違ってくるだろう。
しかしながら、ここで考えたいのは、岩井俊二の映画における手紙という〈通信手段〉について、である。
「ラストレター」は具象絵画だ。
妹は、亡き姉のかわりに同窓会に出席、成り行きで姉を演じてしまう。
不在を在にする、この振る舞いが、手紙という書き手が誰であっても問題ないメディアの〈魔)を発芽させ、めくるめく展開へと連れ去っていく。
死者からの便りも可能にする、その〈魔〉が、あくまでも痛快に躍動しているからこそ、「ラストレター」はどんなにシリアスな側面を抱え持っているとしても、さわやかな読後感をもたらす。
不在を在にする行為は、隠蔽でもカムフラージュでもなく、明快なマジックなのだ。
逆に言えば、かりそめとはいえ、不在が在になったからこそ、ラストの遺書が顕在化してくる。
こうした単純さも、岩井映画の美徳である。
一方、「チィファの手紙」は抽象絵画と呼びたくなる。
ひとによっては、ミクストメディア、あるいはインスタレーションと評するかもしれない。
印象派から、モダンアートへ。
「ラストレター」から「チィファの手紙」への飛翔は、そのようになぞらえることも可能だ。
ざっくり言ってしまうと、「チィファの手紙」は「ラストレター」の応用編であり、進化形である。
製作順を考えると、岩井俊二の非凡さが、ありありと浮かび上がる。
かと言って、小説版「ラストレター」のように、小説がストーリーの中軸となっているわけでもない。
手紙も小説も登場するが、存在感が希薄で、〈通信〉が事態を揺り動かしてはいかない。
登場人物たちはもっと、見えない〈別の力〉によって、思いもよらなかった場所に行き着く。
そして「ラストレター」ではフィーチャーされなかったテーマが、ある人物の設定を変更することで、まざまざと刻印されている。
簡単に言おう。
そのテーマとは、〈なぜ、ひとは、いずれ死ぬのに、生きなければいけないのか〉である。
この疑問を、ひとりの少年が抱えもつことによって、ヒロインの母性も発動する。
だから、もし、「ラストレター」を〈初恋〉の誕生と帰還の物語とするならば、「チィファの手紙」は〈愛〉そのものをめぐる喪失と実存の物語とも形容できる。
あらゆる手紙は、遺書なのかもしれない。
愛しい誰かに、こころを伝える手紙も、未来のだれかに、何かを託す手紙も、結局のところ、いのちを書き記す、魂をトレースするということと何も変わらない。
そのような感慨を、「チィファの手紙」は発見させる。
ユーモアは控えめで、映画的速度もゆったりしている。
「ラストレター」には、過去の岩井映画のあれこれを想起させる要素がぎっしり詰まってるが、「チィファの手紙」は、フィルモグラフィを参照する必要がないように思える。
一度かぎりの冒険なのか、それとも、これからを示唆する予兆なのか。
いずれにせよ、複雑な陰翳をはらんだ「チィファの手紙」のような映画を、岩井俊二はこれまでに撮っていない。
その肌触りは、コロナ禍で製作・公開された最新作「8日で死んだ怪獣の12日の物語」の驚くべき成果の傍らに置くと、より一層、顕著だ。
個人的には、白やスパークリングだけを醸造してきたワイナリーが初めて手がけた赤ワイン。
そのように受けとめている。
原作・脚本・監督:岩井俊二
プロデュース:ピーター・チャン/岩井俊二
音楽:岩井俊二/ikire
出演:ジョウ・シュン/チン・ハオ/ドゥー・ジアン
/チャン・ツィフォン/ダン・アンシー/タン・ジュオ/フー・ゴー
2018年製作/113分/中国
原題:「你好、之華」
配給:クロックワークス
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9月11日(金)より 新宿バルト9他 全国ロードショー