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相田冬二
もう、取り戻せない時間
「夏時間」で監督デビューしたユン・ダンビは、日本映画から大きな影響を受けていると語る。
「是枝裕和監督からインスパイアされたものもありますが、どちらかと言えば往年の日本映画の監督たちが好きです。
小林正樹監督、成瀬巳喜男監督、小津安二郎監督……そうした監督の中のひとりが、わたしにとっての相米慎二監督です。
大事件ではなく、日常を淡々と描き、そこにストーリーを込めていく。
驚愕の手法だと思います。
とても影響を受けましたね。
夏目漱石の小説を読んだときに受けた印象に近いです。
おそらく、心を扱う作品だからでしょうね。
家族を見つめる視線、日常を映像に込めれば映画になるのだという確信を、学びました。
「お引越し」も好きですが、なんと言っても「台風クラブ」!
あんな映画が撮れたら、きっとうれしいでしょうね!!」
ユン・ダンビは屈託なく微笑む。
「夏時間」は決して、相米慎二や日本映画をダイレクトに想起させるものではないが、日常を見つめぬく、という一点の確信において、精神的な継承があるのだと思う。
夏の映画だ。
主人公は、この季節と言っても過言ではない。
「冬にしてしまうと、描くべき家族がみんな家の中にこもってしまう。
それぞれの成長を描きたかったので、冬だと停滞する、と思ったんですね。
たとえば畑の緑などの、夏の豊かさも表現したかった。
これは家族の物語なので、あまり孤独や淋しさを画面に出したくなかったので、夏を選びました」
そして、家の映画だ。
実際の家屋で撮影されている。
舞台というより、家もまた主人公に思える。
「最初に訪れたとき、あの家は寂しい雰囲気でしたが、夏ならきっと輝くと思ったんです。
夏を選んだ大きな理由のひとつです」
夏の終わり、家の終わり、家族の終わり。
さまざまな終焉がミルフィーユのように折り重なるが、監督は終わりを描きたかったわけではない。
「もう、取り戻せない時間を捉えたかったんです。
たとえば、弟が『姉さん、姉さん』と姉を慕い、追いかける姿。
それは、あの姉弟にとっては、あの時期にしかないもの。
どんな日常も、後で振り返ると、かけがえないのものですからね」
祖父が一人暮らししている家に、その息子でシングルファザーの中年男が、娘と息子を連れて転がり込む。
さらには、男の妹が、夫とすったもんだの挙句、加わる。
三世代の夏。
秀逸なのは、大人の兄妹と、子供の姉弟が対称形として配置されている構造だ。
「この5人には共通していることがあります。
母親がいません。
ただ、叔母に母性を託したくはなかった。
彼女は、何かを肩代わりしているのではなく、あくまでも彼女として生きている。
だから、飲んべえだったりするんです(笑)。
大人は保護者でもあるけれど、いまだ成長段階にある存在として捉えたかった。
兄妹、姉弟にしたのは、兄弟、姉妹だとわかりあいすぎてしまうから。
異性同士だと、どこか相手がわからないまま、一緒にいることになる。
そのほうがよいと思ったのです」
この着眼に、ユン・ダンビの哲学がある。
「子供の頃、観ていたホームドラマには、やたら温かい家族ばかりが出てきました。
おかしいな、ウチの家族がヘンなのかな? と思いました。
それぞれが問題を抱えていて、当たり前。
そして、その問題も愛おしいものですよ。
ちなみに、私の母は、飼っている猫をものすごく可愛がるのですが、庭に野良猫が入ってくると、ホウキで追い払うんですよ!
同じ猫なのに!!(笑)
でも、それが人間」
「夏時間」は、観る者が、家族の一員になったような錯覚をもたらす。
そして、登場人物の可愛いところ、ダメなところを、共に肯定したくなるなだらかな心持ちを授ける。
その、当たり前の、気持ちよさ。
ユン・ダンビは、日常を信頼している。
監督・脚本:ユン・ダンビ
出演:チェ・ジェンウン/ヤン・フンジェ
2019年/105分/韓国
原題:Moving On
配給:パンドラ
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2月27日(土)より 渋谷ユーロスペースにてロードショー
「夏時間」のユン・ダンビ監督が「没後20年 作家主義 相米慎二〜アジアが見た、その映像世界」オンライントークイベント(2月17日(木))に出演します。