text
児玉美月
諍いや衝突が起きる時間は夢や空想で切り取られ、
彼らが生きる現実はもっと穏やかで優しい
結婚から二年ほど経った夫婦であるヒョンスとジュヒが、晩酌をしながらテレビを見るごく平凡な光景から映画ははじまる。
アンチョビの加工工場で働くヒョンスは、社長から日曜に二時間だけ出勤するよう頼まれているという。
一時間半の長い通勤時間、バスに揺られて帰ってくるヒョンスをジュヒは停留所まで迎えに行く。そして疲れて眠りについたヒョンスの寝顔を、ジュヒは愛おしそうに見つめる。
映画の中盤になると今度はジュヒの寝顔をヒョンスが見つめるショットで反復され、それが相互的な行為であることが伝えられる。
ふたりの世界は決して裕福ではないかもしれないが、完全に満ち足りているように見える。
あるとき、ヒョンスとジュヒは公園で見かけた子連れの夫婦について、彼らのあいだに愛情があるかどうかを議論する。
お互いを見つめる目に何の感情もないというヒョンスに対し、ジュヒは別の形の愛が存在すると話す。
まだ子供のいないふたりにとって、この会話は他人について考察しているようでありながら、もし子供を作ったら未来の自分たちの関係がどう変化してゆくのかを想像させるものにもなっている。
実際、そのすぐ後にジュヒは若くて健康なときに、そろそろ子供を持つ頃だと母親から急かされもする。
ヒョンスが友人と酒を飲む場面では、友人の離婚話によって恋愛関係と婚姻関係の違いについて語られてゆく。
子供のできた夫婦がどう関係性を変えるのかを描く公園の場面と同様に、そこでもカップルが段階を経てどうその関係を変質させるのかが探求されている。
ヒョンスは子供ができたら二人の時間が減り自由がなくなってしまうことを案じているが、ジュヒはそもそも自由が奪われると考えること自体が間違っているのかもしれないと問う。
答えの出ないまま繋がれたふたりの手のクロースアップを接合点として、ヒョンスが社長に休日出勤の手当について抗議する場面へと転換する。
社長はヒョンスに対して不当解雇を言い渡し、そこに子供を連れたジュヒが乱入すると激しい揉み合いになってしまう。
ふとまた画面が切り替わるとひとりで座っているヒョンスが映し出され、一連の騒動が彼の空想である可能性が示される。
とどのつまり、休日出勤を無償で要請してくる会社にせよ周囲からプレシャーをかけられる子作りにせよ、それらはいまのふたりの関係を揺るがしかねない外的な脅威なのだ。
ゆえにそれらが凝縮された空想では、たえず豪雨のような音が悍ましい雰囲気を醸しながら鳴り響いている。
とあるいつもの帰り道、自転車が盗難に遭ってしまう。しかしジュヒは自転車にいつも通り乗って帰っていたら、転んで怪我をしていたかもしれないとその事態を前向きに捉えもする。
自転車の盗難という事件から、またも話は子供へと流れ、授かったとしたらそれはそれできちんとその事実を受け止めたいのだとジュヒは決意表明する。
映画に立ち現れる種々の事柄が、「子供」というこの夫婦にとってのアポリアに結びつく。
子供を持つことは、ふたりにとって「運命」や「偶然」というよりも、積み重ねた対話の先に辿り着く「選択」のほうに近いのかもしれない。
子供のいる夫婦との食事のあと、ヒョンスとジュヒは些細なことで口論に発展してしまうが、おそらくそれはジュヒが眠りながら見た夢なのだろう。
この映画において諍いや衝突が起きる時間は夢や空想で切り取られ、彼らが生きる現実はもっと穏やかで優しい。
悲しくなったジュヒは、外で流れ星を探していたヒョンスのもとへと駆けつける。
流れ星が落ちた空をふたりは揃って見上げるが、カメラはその空のほうを向こうとはしない。
その一瞬の煌めきは、ふたりだけの日常を丁寧に生きるふたりだけに与えられたご褒美のようなものであり、それがどんな輝きを放っているのか、観客は夢想するほかない。
「眠れぬ夜」
監督・脚本:チャン・ゴンジェ
出演:キム・スヒョン/キム・ジュリョン
2012年/65分
原題:잠 못 드는 밤/Sleepless Night
© mocushura
(劇場初公開)
「映画監督チャン・ゴンジェ 時の記憶と物語の狭間で」
配給:A PEOPLE CINEMA/chocolat studio
3月7日(金)より ユーロスペースほか全国順次公開