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夏目深雪
コロナ禍と青春と映画
圧倒的な瑞々しさ。
ロウ・イエの新作「未完成の映画」(24)を目の前にして、ある中国の方はただ「ロウ・イエ、凄いな!」と言った。
「QAでの質問が2人とも中国の方だというのは偶然ではないのかもしれない。
コロナは中国発のウィルスだという事実が特定され、それによる中国人へのヘイトや暴力沙汰なども起きてしまった。
そして、自らの国から世界中に、それこそグローバリゼーションによってまき散らしてしまった「それ」とまともに向き合った中国映画があっただろうか?ということだ。
コロナ禍をテーマにした映画は今となっては沢山ある。
パンデミック初期は、リモートで制作した動画をリレー形式で繋げていく岩井俊二監督の「8日で死んだ怪獣の12日の物語 劇場版」(20)のような作品もある。
この作品の、制作方法を変えざるを得ないところから試行錯誤していく瑞々しさや、無人の街をそのまま映すようなドキュメンタリー的なテイストは、少し「未完成の映画」を彷彿とさせるところがある。
だが、コロナ禍が長引くほどに当初は関係のなかった社会問題に派生し映画が作られていった。
日本では、ちょうどアメリカや韓国から遅れて盛り上がった#MeTooムーブメントとぶつかるような形で、女性の貧困問題とコロナ禍を結び付けた映画が何本か撮られた。
「茜色に焼かれる」(21、石井裕也)、「夜明けまでバス停で」(22、高橋伴明)、「あんのこと」(24、入江悠)、いずれも、ヒロインはコロナ禍により失職し風俗やホームレスに追いやられる。
「夜明けまでバス停で」と「あんのこと」は実際の事件をベースにしていて、いずれも、コロナ禍で映画製作の困難を抱えた監督の思いが込められた力作である。
そう、こう長引き、世界中に、しかも生活のスタイル全般に影響を与えてしまうと、今さらコロナ禍を題材に「瑞々しい」映画など、撮るのは普通は難しい。
しかも自国発のウィルスである。
だが、そこは「ブラインド・マッサージ」(14)で、視覚障碍者たちが働くマッサージ店を舞台に、愛と温もりに満ちた感動作を撮ったロウ・イエである。
暗く重い題材を軽妙に撮ることもできるし、また「二重生活」(12)で、優男が単に浮気を繰り返しただけで家庭崩壊と惨劇へと向かってしまう姿を痛烈に描いたように、逆も可能である。
この映画の勝因は、なんといってもチン・ハオを主人公に選んだことであろう。
出世作「スプリング・フィーバー」(09)で颯爽とロウ・イエ映画に登場し、「二重生活」や「ブラインド・メッセージ」などの作品で美しく、薄情で、そして何よりも自由闊達な男を演じてきた。ロウ・イエの「青春」のアイコンと言っても過言ではない。
未完成/発表のクィア映画に映っている自身の姿をパソコン越しに観るチン・ハオの登場シーンから始まるこの映画は、その瑞々しさで観客をたちどころに掴んでしまう。
もう一つのキーワードはもちろん「映画」だ。
未完成/発表のクィア映画を完成させようと意気込む監督とチン・ハオだったが、突然にパンデミックによる封鎖が始まり、スタッフともどもホテルに閉じ込められてしまう。
要はコロナ禍を題材にした映画のバックステージものなのだが、監督をロウ・イエ自身が演じていないことにより、フェイク・ドキュメンタリー的なユーモアが常にある。
チン・ハオは家族のもとに戻りたいと願い、警備員と揉め暴力沙汰になる。
みな映画を撮りたいが撮れず、ホテルに閉じ込められるだけの生活に飽き、ZOOMで飲み会をやり、乱痴気騒ぎする。ウルムチの火災(※)など深刻なニュースとユーモアの匙加減が絶妙で、ロウ・イエしか撮れなかったであろう、青春と、映画を愛する気持ちと、将来への不安と愛する人に逢えない悲しみと、それでも尽きることのない希望とユーモアと、つまり我々自身が国や立場は違えどコロナ禍に感じたこと全てが詰まった映画となっている。
映画は結局のところ完成しない、だがこれは紛れもなく「映画」なのである。
ロウ・イエ、凄いな!
※)2023年11月24日夜に新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで発生した火災で、通報から鎮火まで2時間46分もかかる事態となり、10人が死亡した。その後中国各地で起きた大規模な反ゼロコロナ抗議デモの直接の発端となった。
監督:ロウ・イエ
出演:チン・ハオ
22024/シンガポール、ドイツ/107分
©Yingfilms Pte. Ltd.,
第25回東京フィルメックス(2024)<特別招待作品>として上映