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夏目深雪
映画言語を変えていかなければいけないと
考えました
今年の東京フィルメックスでは、ロウ・イエ監督が新作「未完成の映画」をひっさげて来日した。Q&Aはロウ・イエ監督と夫人で本作のプロデューサーを務めたマー・インリーが登壇。鑑賞後の観客の興奮が残るなか、質疑応答が行われた。本作は、前半部分に「スプリング・フィーバー」「二重生活」「シャドウプレイ」など、ロウ・イエ監督の過去作品の撮影時に撮られた映像が使われている。作品の生まれた経緯について神谷プログラム・ディレクターが質問した。
「最初の構成から大きく変わっています。素材を見ていき、またコロナ禍に入ったことにより、物語を調整していくなか、様々なアイディアが生まれ、今のような形になりました。コロナ禍において、我々製作陣が感じていた共通した気持ちを映画の中に盛り込みました。映画を撮っても意味がないんじゃないかということです。大きなスクリーンで観れるような環境ではなくなっていたし、世の中では心を痛める残酷なことが起きていた。そんななか、大スクリーンで観る映画に代わるものとは何かということを考えました。昨今ではスマートフォンをみなさん持っている。私は、映画はだんだんと消えていき、個人が誰でも撮れる映像に取って代わるのではないか、映像自体が個人のものになっていくのではないかと考えました。当時、人々のコミュニケーションは途絶え、スマホのスクリーン越しに話をしていた時期でした」
「映画言語を変えていかなければいけないと考えました。何故映画を撮るのかということを考え直した。完成した映画を観ると、喜びが湧き上がってくる。やはり映画というものは、自分でも考えもしなかったようなものが映り込むものです。そういった意味で映画を撮ることに対し、自信を得ることができました。そして強調したいのは製作陣みな、同じ気持ちだったのではないかということです」
会場からは、2人とも中国語での質問であった。「“ロウ・イエ凄いな!”とみんな思ったに違いない」と一人目が切り出すと、客席が沸いた。コロナ禍の前と後とで、撮りたいものに変化はあったかという質問に、監督は次のように答えた。
「全てがコロナ禍によってひっくり返ってしまったのではないかと思います。人と人との付き合い方が変わってしまったことが大きく影響している。そうすると、映画言語自体も変える必要が出てくる」
「この映画に出てくる監督に、役者が“人々が観られない映画を作ってどうするんですか”と聞きますね。私自身も答えられないし、映画の中の監督も答えていませんでした。このように、この映画はドキュメンタリーの要素をかなり持っている」
「中国人にとっては切実な映画であったと思います」と切り出した2人目の観客は、「人々の記憶を表現していくのが映画かと思います。そのことを監督はどう考えますか」と質問した。
「この映画は決してマクロ的な視点では撮れないものでした。個人の気持ちやスマホを持った人たちが参加している状況、そういった極めて個人的な感覚やコンセプトで撮られた映画です。実際、誰もがもうカメラを持ち、撮ることができる。街全体が映画になる、そういう時代だという感覚を持っています」
「未完成の映画」
監督:ロウ・イエ
出演:チン・ハオ
22024/シンガポール、ドイツ/107分
©Yingfilms Pte. Ltd.,
第25回東京フィルメックス(2024)<特別招待作品>として上映