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CULTURE / MOVIE
“過去”に加担する力を授ける
「ベトナムを懐(おも)う」

昨年「ベトナム映画祭」で上映された2本の作品「漂うがごとく」「ベトナムを懐う」が3月23日より公開となる。この公開に合わせ、2作品のレビューを再配信する。


「ベトナムを懐う」。佳い邦題である。これは距離感の映画だから。望郷とは彼方から想うことであり、郷愁とは遠くでかたちづくられるものである。ここで慕われる「ベトナム」とは地名や風土にとどまらず、記憶や歴史の総称、あるいは象徴のような何かだ。個人の体内には大きな記憶もあれば、小さな記憶もある。それらは主に「過去」として定義されるが、「懐う」ことによって、「過去」は常に更新されている。美化もトラウマも「書き換え」がおこなわれているという意味において本質的には同じことだが、回想という行為は価値を厚塗りしたり削ぎ落としたりということをある意味、気ままに無秩序に為していく。

ひとの「過去」は、そのひと自身や周囲のひとびとの「現在」によって、あるときは繊細に、あるときは大胆に変化していく。事実がどうであったかはもはやどうでもよく、個人個人の真実らしきものが混じり合ったり、すれ違ったりしているだけ。記憶にしろ歴史にしろ、それはノンフィクションではなくフィクションなのである。創造された想像。

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ニューヨークを舞台に、祖国を捨てた息子と、その父親、さらに孫娘の三世代が「ベトナム」を想像し、創造する。対峙したり衝突したりしながら、「過去」が語られ、生成されていく。一個人の昔話のはずが民話めいた色彩を帯びることと、ひとりの人間が経験した悲劇があたかも民族そのものに降りかかった火の粉のように感じられることとが、あくまでも等価のこととして、この密室劇では綴られる。

ニューヨークの寒さが、雪が、ベトナムの陽光やまぶしさを照射するのは言うまでもない。コメディやミステリーの様式を援用しながら、映画は「語りきる」よりも「語られなかった」記憶や歴史に観る者の魂を向かわせる。最後の最後、カメラが突如、ダイナミックに滑走していく。ニューヨークからベトナムへと到達するかのような、そのスピード、そのスケールは、わたしたちが「過去」に加担する力を授ける。

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Written by:相田冬二

「ベトナムを懐う」
監督:グエン・クアン・ズン
出演:ホア・リン/チー・タイ

2019年3月23日より新宿ケイズシネマにて公開


【関連リンク】
「漂うがごとく」