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「その人たちに会う旅路」

review

大阪アジアン映画祭2025より

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月永理絵


肉体を絡ませ合う男たちは、快楽を共有し、子供のように笑い合う。
女たちは、自分たちだけの愛の呪文を唱えながら疾走する

「その人たちに会う旅路」(ファン・インウォン監督/韓国/2024年)

WEBで官能小説を執筆し生計を立てている作家のスヨンは、毎夜のようにマッチングアプリで出会った男性たちとその場しのぎのセックスをしている。そんなある日、彼女は大学時代の先輩から相談を受ける。内容は、かつての恩師である大学教授を告発する、というものだった。作家であり大学で文学を教える教授は、職権を利用し、教え子たちに性加害をくりかえしていたのだ。

韓国では、2018年、ソ・ジヒョン検事が検察幹部によるセクシュアル・ハラスメントを告発し、そこから#MeToo運動が社会運動として大きく展開していった。文学界では、ノーベル文学賞候補にもなった高名な詩人コ・ウンによるセクハラ被害が告発され、映画界では、キム・ギドクによる性加害の実態が暴露された。またSNS上で文壇内の性加害を告発する動きは、それより以前、2016年から始まっていた。芸術高校の学生たちが文芸創作科の講師であった詩人から性暴力を受けたとSNS上で告発したのを機に、学生や女性作家たちが次々に声をあげ、文壇内での性暴力ハッシュタグ運動が活発化したという。
性加害の告発をテーマにした『その人たちに会う旅路』が、実際に起きた#MeToo運動に触発されてつくられたのは間違いない。ただし、本作が主人公とするのは告発の声をあげた被害者ではない。主人公のスヨンは、先輩から告発に名を連ねてほしいと頼まれるが、即座にその誘いを断ってしまう。スヨンは本当に被害者ではなかったのか? それではどうして先輩はスヨンに声をかけたのか? 釈然としない気持ちを抱いたまま、私たちはスヨンのその後と、彼女の生活の外側で進行する告発の行方とを見守ることになる。
被害者たちとの連帯を拒んだ女性。彼女の視点から見えてくるのは、自らの被害を認め、声をあげるという行為に至るまで、人はいかに複雑で長い道のりを辿るのかということ。スヨンが思い出すにまかせて、いくつかの過去が断片的に浮かび上がる。それらを繋ぎ合わせても、彼女が歩んできた道のりが明らかになるわけではない。しかし彼女がどんなふうに過去と向き合い、本当に吐き出したかった言葉を見つけていくのか、その過程を見つめるうち、私たちはいつしかスヨンの心の旅路の同伴者となる。
本作の監督ファン・インフォンにとってこれが初長編。61分という時間のなかで、ひとりの女性が自らの過去を紐解いていくまでを描く、その繊細かつたしかな手つきに、心を打たれた。

「All Shall Be Well」(レイ・ヨン監督/香港/2024年)

大阪アジアン映画祭の会期前半、短編プログラムAで上映された「晩風」が短いながらも印象に残った。あるゲイカップルの結婚を、息子の結婚を受け入れられずにいる父親と、離婚した父が同性の恋人と結婚するのを複雑な気持ちで見つめる息子、というふたつの視点から描いたメロドラマ。上映後、チャン・ゾンジェ監督は、台湾では2019年に同性婚が合法化されたが、実際に周囲の人々がどのように同性同士の結婚を見つめるのか、彼らをとりまく社会状況を描きたかった、と語っていた。

同じように同性カップルと社会との関係を扱いながら、より現実的なドラマとして見せてくれたのがレイ・ヨン監督「All Shall Be Well」。長年人生を共にしてきた60代のレズビアンカップル、アンジーとパット。日本同様、香港では同性婚が法的に認められていないが、映画の前半で描かれるアンジーとパットの生活はとても安定して見える。手入れの行き届いたマンションの一室で日々の生活を楽しみ、近隣の人々と親しげに声を交わす。パットの親族とは長年親密な関係を築いており、レズビアンコミュニティとの付き合いも活発だ。だが春節のお祝いをした後、何の前触れもなくパットが急死し、アンジーをとりまく状況は一変する。

個人の幸福は、社会のシステムや慣習とどうやっても切り離せない。その冷酷な真実を、映画は嫌というほど見せつける。同性婚が許されず法律上のパートナー関係が認められていないふたりは、社会においてはあくまで“親友”としかみなされず、葬儀を行う権利は親族であるパットの兄に委ねられる。またパットが遺言書を残していなかったことで、アンジーは遺産相続の権利すら失ってしまう。彼女たちがどれほど愛し合っていたか。どれだけの時間、家族として共に支え合ってきたか。どれほど必死で訴えようと、“愛情”という目に見えないものは何の効力ももたない。社会が決めたシステムが、アンジーからすべてを奪っていく。
一方で、パットの親族もまた社会の犠牲者である。経済的な成功を収めたパットたちに対し、彼女の兄夫婦、そして姪や甥たちはみな経済的に困窮し、疲弊しきっている。激しい経済格差社会のなかで押しつぶされていく彼らの様子が痛々しい。

物語の行方に胸を痛めながらも、たったひとつのカットで、あるいはふたつのカットをつなげることで、人々が置かれた状況を端的に示してみせる監督の見事な手腕に惚れ惚れした。市場に出かけたアンジーとパットが、買い物をしながら当然のように互いの体に手をまわす様を見るだけで、あるいは家の鏡台の前で同じクリームを互いの顔に塗り合うのを見るだけで、彼女たちの関係がどのようなものであるか、社会のなかでどんな時間を過ごしてきたのかがよくわかる。もちろんパットの親族たちの生活もたったワンカットのなかで描写され尽くしてしまうわけで、それがよけいにやりきれないのだが。人を、どんな空間にどう立たせ、どんなふうに彼らを動かすのか。それこそが、人々と社会との関係を描写する最適な方法だ。この映画を貫く理念が、世界の複雑さをたしかに映し出す。

「イケメン友だち」(ゲン・ジュン監督/フランス、ポルトガル/2024年)

今より10年ほど前の中国、東北地方の街。焼餅(シャオピン)屋のシュー・ガンは、理容師をしている若い男の恋人に振られたばかり。既婚者のチャン・ジーヨンは、つい最近自分がゲイだと自覚し、ゲイ仲間を見つけたいと願っている。一方、あるレズビアンカップルは、自分たちの子供をつくろうと計画を練る。

中国のインディーズ映画界で活躍するゲン・ジュン監督は、しばしば自身の故郷である中国東北部の黒竜江省を舞台にし、非職業俳優の友人たちを起用し映画作りを続けてきた。本作「イケメン友だち」でも、監督の幼馴染であるチャン・ジーヨン(張志勇)が自身と同じ名前の主人公役を演じ、2024年の金馬奨で最優秀主演男優賞を受賞した。雪のちらつく街で、男たちがとぼとぼと道を歩き、食堂でぼうっと時間を過ごしては、タバコを吹かし要領のつかめない会話を繰り返す。モノクロの画面とゆったりとしたテンポは、ジム・ジャームッシュの映画やアキ・カウリスマキの映画を彷彿とさせる。また地方都市でのゲイコミュニティのありかたをユーモアをこめて描いた点では、アラン・ギロディの映画とも通じるかもしれない。

ようやく発見したゲイ・コミュニティで、ジーヨンはガンと出会う。ふたりはもどかしくも関係を深めていき、レズビアンカップルの家族計画も同様に進行する。肉体を絡ませ合う男たちは、快楽を共有し、子供のように笑い合う。女たちは、自分たちだけの愛の呪文を唱えながら疾走する。不器用な恋人たちのやりとりはロマンチックだが、ジーヨンたちに執拗にポリアモリーな関係を迫るレストラン店主や、不可解な注文をくりかえすゲイ・コミュニティの主人など、風変わりな人々が次々に登場し笑いを誘う。共産主義や全体主義への風刺も、随所に垣間見える。

奇妙なリズムをもつ喜劇であるが、一方で、なんともいえない居心地の悪さも感じるのもたしか。というのも、ここで展開される出来事すべては、同性愛をタブーとする状況によって成立しているからだ。異性と結婚し子を儲けるのが当然だとされ、同性愛者はいないものとされる社会だからこそ、ジーヨンはゲイ仲間を探すため声を顰めて街を徘徊するのであり、ゲイの男たちは、誰もいない公衆トイレや隠された扉の奥で密かにつながりあうのだ。男たちの求愛行動も、女たちの家族計画も、表だって行えないからこそ複雑で風変わりなものとなり、滑稽さを醸し出す。当然映画には、社会や政府への風刺が込められているはずだが、その背景にある現実のグロテスクさを、私たちは果たしてどう受け止めるべきなのか。


第20回大阪アジアン映画祭
2025年3月14日(金)~3月23日(日)開催

「その人たちに会う旅路」
監督:ファン・インウォン
出演:ソックィ/イ・スンヨン
2024年/韓国/61分
*第20回大阪アジアン映画祭<コンペティション部門>にて上映

「All Shall Be Well」
監督:レイ・ヨン
出演:パトラ・アウ/マギー・リー
2024年/香港/93分
*第20回大阪アジアン映画祭<特集企画>にて上映

「イケメン友だち」
監督:ゲン・ジュン
出演:シュー・ガン/チャン・ジーヨン
2024年/フランス・ポルトガル/116分
*第20回大阪アジアン映画祭<特別注視部門>にて上映


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