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夏目深雪
「女性映画」のこれからの可能性
「君だけが知らない」はその始まりからして素晴らしい。
病院で目が覚めた女性が、夫らしき人物と自宅らしきところに戻るが、彼女はそれが本当に夫か、自宅か分かっていない。
記憶のない女性――それは映画のエロスが溢れている。
ヒッチコックの映画みたいなシチュエーションだ。
韓国の女性映画が素晴らしいものが多いので、それについての本を出版した。
男尊女卑やミソジニーによって差別されている女性の立場のひどさを明らかにするシチュエーション、また彼女らがシスターフッドによって繋がり、男社会に復讐するカタルシス。
それらの映画は素晴らしい。
でもこの映画のように、一人の女性を徹底的に不安定な立場に置くような勇気には欠けていると言わざるを得ない。
そのうちに彼女はエレベーターにたまたま乗り合わせた人の、未来を幻視するようになる。
この一連のシークエンスも素晴らしく、私は女性監督イ・スヨンによるホラー映画「4人の食卓」(03)を想い出した。
この映画ではヨンという、他人の過去が見えてしまう女性が出てくるのだった。
過去でも未来でも、その人間と隣り合っただけで、映像が見えてくるというのは独特の怖さがある。
まるで映画のメタファーみたいだ(映画だって、観ているだけで、その人の過去や未来が分かってしまう)。
過去・現在・未来。現実/幻想。
入れ子構造のようになった映像の回廊を、我々は怯えながら進んでいくしかない。
話が進み、彼女の記憶が戻るにつれ、状況は二転三転するのだが、ヒロインの過酷な過去が明らかになってくる。
登場人物に容赦なく罪を犯させるのはパク・チャヌク映画のようだ。簡単に解けないような愛憎によって男女ががんじがらめになるところも、似ている。
だが、私が最も感動したのは、ラスト、ヒロインに惜しみない愛が注がれるところだ。
ホ・ジノ監督の助監督や脚本を手掛けてきたソ・ユミン監督だが、元々サスペンス・スリラーがとても好きで、だから長編第一作目も脚本を何十稿も書き直し、苦労しながらサスペンス・スリラーを撮りあげた。
だが、同時にホ・ジノ監督が撮るようなロマンティックなラブストーリーも好きで、両方兼ね備えた映画を撮りたかったのだという。
惜しみない愛が注がれたヒロインの多幸感。
でも、本当に欲しいものは、もう彼女には手が届かない。ここには確かに往年の韓流ドラマの手触りがある。
不安定なエロス、突然現れる映像の衝撃、絡み合った因縁と愛憎、手からすり抜けてしまったけれども、確かにそこにあった深い海のような愛。
映画の歴史、韓国映画の歴史、韓流ドラマの歴史を全てぶっこんで煮込み、上澄みとして出てきた最良のエキスだけで作ったような映画だ。
女性の感性で作り上げた、一人の女性を描いた「女性映画」。
それらは、でもパク・チャヌクやポン・ジュノら巨匠が撮る映画とはやっぱり別枠なのかな、と思っていたところはある。
でもこの映画を観て、そんなこともないのではないかと思った。
男性により男性中心主義によって撮られた映画を、どう乗り越えるのかまでは言えないが、何か可能性の萌芽のようなものが見える。
そんな映画だ。
「君だけが知らない」
監督・脚本:ソ・ユミン
出演:ソ・イェジ/キム・ガンウ
2021/韓国/100分
原題:RECALLED
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シネマート新宿 ほかにて公開中