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相田冬二
4Kで甦るウォン・カーウァイの5作品、
美学を支えた演じ手を観る愉しみ
「いますぐ抱きしめたい」「欲望の翼」でこの監督の幕開けを支えたスター、アンディ・ラウに初めてインタビューしたとき、わたしは「ぜひ、またウォン・カーウァイ監督と組んでほしい」と伝えたのだが、「……それはどうかなぁ……」と微笑んだのが印象的だった。
「あのひとは、アタマがおかしい」と、やはり微笑みながら、日本語で語ったのは、金城武である。
金城は、ウォン・カーウァイにホテルのロビーで見染められ、「恋する惑星」「天使の涙」で映画俳優としてブレイクしている。
なのに、である。いや、だからこそ、なのかもしれないが。
ふたりとも、いま思えば、微笑ではなく、苦笑だったのかもしれない。
つまり、この監督は、わたしたちが想像する以上に、演じ手に負荷をかける演出をしているのだろう。
考えてみれば、木村拓哉も「2046」について「何がどうなっているのか、さっぱりわからなかった」と述懐していた。
木村の場合は、微笑ではなく、はっきりと苦笑だった。
こうした演じる側にとっての不安や圧をもはや自明のものとして引き受け続けたのが、トニー・レオンである。
そして、マギー・チャンであり、何よりもレスリー・チャンであったのだろう。
少なくとも、この3名がいなければ、ウォン・カーウァイという異才は、ここまでの作品本数を重ねることはできなかったに違いない。
このたび、4Kで甦ることになった、充実期の5本。
無論、映像と音響の向上を吟味する絶好の機会ではある。
が、そうした真っ当なお愉しみ以上に、キャストの面々が身を挺して、ウォン・カーウァイ美学を支えていることを鑑みると、より深い感動が得られることと思う。
純度から言えばキャリア最高傑作と呼んでも過言ではない「花様年華」を、許されざる逢瀬としてではなく、トニーとマギーという運命共同体による、カーウァイへのマゾヒスティックな献身の記録として凝視するならば、別種の興奮と陶酔が訪れるだろう。
あるいは、南半球アルゼンチンまで赴き、同性愛カップル究極の腐れ縁を体現することになったレスリーとトニーの心象を想えば、あの作品の深度は、全く別の角度から深まることになるだろう。
金城武が両作を繋いだ「恋する惑星」「天使の涙」の、一見、軽快だからこそ、キャストの面々を相当振り回したに違いない二部作のありようを、むしろビターな味わいとして受け取ることができれば、わたしたちのウォン・カーウァイ宇宙はさらなる陰影を獲得することになるだろう。
そして、「楽園の瑕」以上の実験作かもしれない「2046」の時空を超えた果てしない野心を想うとき、トニー・レオンや木村拓哉が、いかに忍耐力のあるタフな精神の持ち主であるかを目撃することになるだろう。
古今東西、ありとあらゆる異才の映画世界は、様々な犠牲の上に成り立っているはずであり、銀幕の煌めきを、演技者たちのドキュメントとして凝視するならば、それもまた特権的な芸術体験となる。
1995年の「恋する惑星」から、2004年の「2046」まで実に10年。
これは、ウォン・カーウァイがもっとも脂の乗り切った時期であり、だからこそ、多彩に重複しているキャスト陣の顔つきを見つめぬくことにも意味がある。
ウォン・カーウァイは、20世紀と21世紀をまたぐ映画作家であり、その評価は既に定まってはいる。
だが、彼ならではの宇宙に酔いしれるだけではなく、自分たちの20代と30代をまるごと捧げた表方たちの勇ましさも、明確な意識を持って、視界におさめてみたい。
そして、それは、2022年だからこそ、できること。
ウォン・カーウァイは、間違いなく、演じ手を輝かせる演出家だ。
だが、その光のすぐ足元にある影を、4Kの映像と音響で感じとりたいと考えている。
「恋する惑星」「天使の涙」「ブエノスアイレス」「2046」「花様年華」の5作品を上映
提供:アスミックエース/TCエンタテインメント
配給:アンプラグド
8月19日(金)より シネマート新宿、グランドシネマサンシャイン池袋、立川シネマシティほか 全国にて順次公開