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死霊魂

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金水 正


ワン・ビンと、なぜかそこにあるピアノ

1967年生まれのワン・ビン監督は、14歳の時に父を亡くして以来24歳になるまで父の職場で職を得て一家の大黒柱として家計を支えていた。

ワン・ビンが写真に興味を持ち、写真や映画について学び始めたのは25歳になってからであり、卒業後も撮影所での手伝いなどをしていたが、その生活に見切りをつけた後、1999年に中古のデジタルカメラ一つでのちに世界に衝撃を与えることになる「鉄西区」の撮影に着手する。

最終的に9時間バージョンとなるこのドキュメンタリー映画が完成するのは2003年のことだ。

そのワン・ビンが「死霊魂」の題材となる1950年代後半に大量の死者を出した夾辺溝収容所のことを知ったのは2004年のことだった。

カンヌ映画祭のシネフォンダシオンのレジデンス・アーティストとしてパリへ向かう機中でヤン・シエンホイの小説「夾辺溝の記録」を読んだワン・ビンはすぐさまこの物語を映画化しようと決める。

これがのちにワン・ビン初の長編劇映画(フィクション)である「無言歌」(2010)へと結実するが、この劇映画を準備するためにワン・ビンは収容所にいた人々の証言を集め始める。

そして生き延びた人たちの証言を映像に記録するうちに、この取材を元にドキュメンタリー映画を作るアイデアが生まれる。

集められた証言は最終的に120の証言と約600時間のラッシュ映像にのぼると言う。

そしてこの取材は、結果として「無言歌」の他に、2009年の「鳳鳴 中国の記憶」と2018年の本作「死霊魂」を生むことになった。

取材は、2005年に集中的に行われた。
そして2016年に追加の取材が行われ、それらの編集の結果、「死霊魂」が完成する。

なぜ、この作品の完成のためにこれだけの時間がかかったのか、この長い時間の経過そのものにこの映画が背負ったものの重みがあり、そしてワン・ビン監督がそれに対峙するためなさねばならなかったことを読み解く必要があるように思う。

それは映画を映画として成立させるために必要なものだったと思われるから。

取材は、証言者にカメラを向け、ほぼ正面からの据え置きで証言者の語りを捉える。

劇映画「無言歌」に先駆けて発表された「鳳鳴 中国の記憶」では、夫とともに反右派闘争で迫害を受け、夫を夾辺溝で亡くしたフォンミンの語りを約3時間の全編に渡ってほぼ正面のカメラで捉え続けている。

滔滔と口を衝いて出るその語りの強度が弛緩することなく3時間にわたる映画の持続を支え続けている。

「死霊魂」においても16名ほどの証言者の語りが、同様の正面からの映像で次々に登場するというのが「死霊魂」の骨子であり、それぞれの証言がフォンミンにも劣らぬ強度を持って続いていくが、全体でいえば30名に近い登場人物を選び出し、三部構成の作品にまとめあげるのにワン・ビンはあしかけ14年の歳月を必要とした。

夾辺溝収容所を生き延びた者たちの証言を大事にすること、それが作品の構成にどうしても必要なことであったが、同時に彼らの物語は個人的なものでもある。

ワン・ビンはこう語っている。

「彼らの非常に個人的な物語に、少し迷わされたところもあるかもしれません。

かつて収容所だった人気もない何もない場所、何十年も墓なしで捨てられた骨が散らばっている砂漠の真ん中に立ったとき、私は真実に近づいたという感触を持ちました。

生き延びた人たちの物語や記憶の中に、私が再び感じたかったのはその感覚だったのですが、それはなかなか見つからなかったのです」
(国際版プレス:エマニュエル・ブルドーによるインタビューより)

それゆえに、証言を選び出しそれらを組み立てる方法論に加えて、作品の重要なポイントで加えられる寒々しい荒野に野ざらしにされた白骨をワン・ビンの手持ちのカメラで追いかける衝撃的な映像も不可欠な要素ではあったのだろう。

野ざらしにされ見捨てられた失われた真実を再び見出し、あるべき鎮魂をほどこすこと、それがこの作品に求められる使命であったが、その方法論を見出すことにワン・ビンは14年の時間を必要とした。

では、見出された真実とはどこにあるのか。
夾辺溝収容所を生き延びた証言者の中にひとり異質な存在がいる。

それがジョウ・シアオリーだ。
彼は、登場人物の中で夾辺溝を逃亡して生き延びた唯一の証言者であり、2016年の取材にだけ登場する。

彼は最初カメラに向かい「夾辺溝の話など誰も覚えとらん!」と声を荒げ、落ち着きなく動き回る。

まるで見つけ出されることが迷惑であったかのように。
それでもポツリポツリと言葉少なに身の上話を始める。

なぜ自分に子供がいないか話しておこう、ずっと独身だからだ。
結婚して1年ほどで反右派闘争が始まり、妻は男を作ってすぐに消えた。

いらい独り身なんだ。
ジョウ・シアオリーの話は断片的で脈絡もない。

その貧しそうな部屋の中に、なぜかピアノが置かれている。
そのピアノを慈しむように丁寧に拭き、曲を弾くでもなく蓋を閉める。

ジョウ・シアオリーの貧しい生活の中になぜピアノがあるのかは全く分からない。

しかしそこに確かにひとつの真実があり、それを映し出せるのがワン・ビンの映画の力なのだと私には思えた。



「死霊魂」

監督・撮影:ワン・ビン
2018年製作/8時間26分/フランス・スイス
原題:死霊魂|英語題:DEAD SOULS

配給:ムヴィオラ
(C)LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

12月26日(土)、12月17日(日) 兵庫 元町映画館にて上映

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