photo:MEGUMI
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相田冬二
わからないものをわからないまま提示したい
原作は小川洋子だ。
「なるべく原作に寄り添いたいと思いましたね。原作に惹かれて映画化するわけですから、自分が感じた小説の魅力をできるだけそのまま映画に移し替えたいという想いはあります」
当初は「低予算・原作あり・官能もの」というプロデューサーからのお題に、奥原が発案した企画だった。
「すぐ思いついたのが『ホテルアイリス』でした。小川さんの小説は、自分が撮る映画と相性はいいと思っていました」
企画は頓挫した。が、脚本は書き終わっていた。
「そのあと、ぽっかり時間があいているんですよ。だから、ずっとこの企画のことだけを考えていたわけじゃない。台湾の金門島に行ったのが大きかった。最初の企画のときも、はたしてこれは、日本でできるんだろうか? とは思っていて。(ロケーションとして)日本的な情緒が邪魔になるんじゃないかと考えていました。金門島との出逢いが、この企画を再開したいちばん大きなきっかけです」
奥原浩志の映画はいつだってボーダレスだ。
現在の拠点である北京で撮影された「黒四角」も、よしもとよしとも原作の「青い車」も、「タイムレス メロディ」(タイトルが奥原作品の批評そのものと言える)も、そして最初期の「ピクニック」も。
ボーダレスな奥原作品にとって「どこ」で、その「時間」が紡がれるかは重要である。
そうして「ホテルアイリス」は本格的に動き出した。
「小川さんと2回くらいメールのやりとりをして、そこから本当に真摯に原作に向き合い始めました。当時の脚本は、最初の企画に合わせたもので、もう少し物語を作り込んでいたんです。原作者とやりとりして、すごく助けられた。主人公ふたりの話にして、より深く考えるようになりました」
どこでもない島にあるホテル。
母が営むそのホテルで働いているマリは、ある夜、商売女らしき女性を叱咤する見知らぬ男性の姿に衝撃を受ける。
やがてその男性と巡り会ったマリは、彼がロシア文学の翻訳家であることを知る。
そうして、彼とのあいだに危険で、はかなく、とりとめのない関係が派生していく。
ボーダレスなだけではなく、ジャンルレスでもある。
「昔はこういう映画をよく観ていたような気もしますが、最近は見かけなくなりましたね。あまり物語に依存しすぎるのも良くないな、と思ってるだけで、自分としては特に何かやったという意識はないんです。ミニシアターの時代を知っている人なら違和感なく楽しめるのではないでしょうか。いまの若い人はどう感じるんでしょうかね」
ボーダーラインが曖昧な映画だ。
つまり、どこまでが現実で、どこからが夢想、あるいは妄想なのか、判然としない。
意識なのか、無意識なのか、それすらも危うくなる。
びっくりするようなことが起きるから危険なのではなく、境目がリバーシブルだからこそデンジャラスなのだ。
そこでは、謎も過去も描かれるが、それらはどうでもよくなる。すべてが混じり合っている状態そのものに漂っていたくなる。
「それは原作にある部分です。自分としてはかなり忠実に作ったつもり。いわゆる『解釈』はしていない。もちろん、これもひとつの『読み方』ではあるでしょうが、自分の読み方を押しつけても意味ないと思うので。自分も原作にわからないところがいっぱいあるんですよ。わからないものをわからないまま提示したいなと」
わからないものをわからないままで。
これが奥原浩志の最も重要なアイデンティティだと思う。
「腑に落ちないことは原作にいいっぱいあって。無理矢理、腑に落ちるようにするほうが無理があるんじゃないかって、いろいろ説明しようと思えばいろいろできるんでしょうけど、絶対的にこれだ、というものはもともとないわけですから」
結果、映画が、旅体験になる。
そう、ホテルや異郷の地に「滞在」しているような心持ちになるのだ。
100分の旅。
撮影中は、原作を拠りどころにした。
迷ったり、困ったりしたら、原作を開く。
そこには「聖書」のように導く言葉があったのだという。
「原作を開いて読んで言葉を見つけて納得する。心強かったですね。原作に忠実、というより、裏切れないんですよ。やってはいけないことがあるんです。原作を読むとそれがよくわかる。そういう指針があるとやりやすい。なにしろ『真理』はそこに書いてあるんですから。話がね、かなり多層的なんです。読んでいくと、すべてが疑わしく思えてくる。想像力をすごく掻き立てられる」
そうして、映画には「時間」が生まれた。
ずっと、浸かっていたくなるような「時間」が。
「自分はまあ、そういう映画が好きだから、そうなのかな。もう『ただ見ていたい』。そういうのが好きなんで。そういう映画になっていたら、すごくうれしいです」
時間、といえば、編集。
面白いエピソードを教えてくれた。
編集は、台湾側のプロデューサーであり、監督作「台北セブンラブ」でも知られるチェン・ホンイーと共に行った。
「それがよかった。自分でやると、ちゃんと伝わるかな、という不安感から、どうしても編集が丁寧に、説明的になってしまう。チェンさんが編集してるところ、後ろでずっと見ていたんですが、あ、そこも切っちゃうの? の連続で(笑)。2時間あったものが90分に。いくらなんでも、と10分戻して100分で完成しました。チェンさんも自分の監督作のときは客観的に編集できないと言ってましたね。映画から、余分な脂肪が取れました。お互い、あんまりおしゃべりなタイプでもないから、一週間ぐらい、何も言わずに、黙って台北で編集作業してました。チェンさんは黙って編集。僕は黙ってそれを見ている。それだけ。でも、チェンさんは見られていることは意識しながら編集している。で、ときどき後ろを振り返って、にたっと笑う。それに対して、首を傾げたり、うなづいたり。そんなコミュニケーションをしていました」
その光景こそが、なんとも映画的ではないか!
ところで、「ホテルアイリス」はあらためて、奥原浩志ならではのムード、ニュアンス、エモーションに魅せられる。
奥原の映画は、屋外に居ても「部屋」を感じるし、その「部屋」には特別な「親密さ」があり、ボーダーとは異なる次元で、「時間」が奏でられている。
「自分では意識してないです。そうしようと思ってそうなっているわけではなく、ただ『変われない』だけじゃないですか(笑)。でも、他の監督の映画を観ててよく不思議に思うんですよ。どうして、この監督の映画だ、って感じがするんだろう? と。だって、現場で監督ができることなんてごくわずか。なのに面白いですよね。たぶん、『時間を作ること』が映画。この『時間』の感覚が監督によって違うんでしょうね。きっと、それが、映画そのものなんですよ」
「ホテルアイリス」
監督・脚本:奥原浩志 原作:小川洋子
出演:永瀬正敏/陸夏/菜 葉 菜/寛 一 郎/リー・カンション
2021年製作/100分/日本・台湾合作
原題:艾莉絲旅館 Hotel Iris
配給:リアリーライクフィルムズ、長谷工作室
©HASE STUDIO
2月18日(金)よりロードショー
新宿ピカデリー ヒューマントラストシネマ渋谷 シネ・リーブル池袋 他