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石井輝男

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賀来タクト


石井輝男・超映画術 スペシャル復刻インタビュー

※このインタビュー記事は、2001年6月に雑誌「DVDビデオぴあ」(ぴあ刊)に掲載されたコメントをもとに、取材者が加筆、再構成したものです。

2001年6月初頭のことである。
ぴあフィルムフェスティバルでの「盲獣vs一寸法師」プアレミア上映(6月24日)を控えた都内の石井輝男邸を訪ねると、まさに同作品の仕上げの真っ最中であった。

前作「地獄」に続く2年ぶりの新作。
スタッフルームの名を借りた自宅の各部屋には若いボランティア・スタッフがあふれ、皆、コンピューターの画面に和気あいあいと張り付いている。

「僕、“コンピューターなんかよくない”なんて言っていたけれど、今はカメラなんかでも簡単にオーバーラップとかできちゃうんだよね。

フィルムだと現像でえらく手間がかかるのに、まいっちゃうよねえ(笑)」

石井輝男、このとき77歳。
早稲田実業を中退後、18歳で東宝に入社し、撮影助手としてキャリアをスタート。
円谷英二の航空研究所を経て、出兵も経験し、終戦後の1946年、新東宝の設立とともに参加。
同社で演出部配属となり、渡辺邦男、成瀬巳喜男、清水宏らの作品に助監督としてついた。

一般には東映での〈異常性愛路線〉(1968~1969)で有名だが、自身は「新東宝の人間だった」と断じる。

「(新東宝は)とてもいい会社で、自由な雰囲気がありました。
東宝や松竹と違って、外からだれが入ってきても拒みませんでしたし、〈ライン〉シリーズは予算の少ない映画ですが、安っぽく見えません。

美術の人が頑張ってくれて、地面のタバコ一本を撮るのにも、後ろに船のセットを建ててくれたりしてね。

そういうのが映画に出ています。
ただ、あの頃は2本立て興行で、それはもう無我夢中の忙しさでした。
会社には15日と30日の給料日だけ出社するという自由出勤でしたが(笑)」

「黄線地帯(イエローライン)」(1960)、「セクシー地帯(ライン)」(1961)には、後の「異常性愛路線」時代の顔とも言うべき盟友・吉田輝雄がすでに主役級で出演している。

「あのときは(新東宝の新人として)菅原文太と吉田ともうふたりの4人がいたんですよ。みんな足が長いので〈ハンサムタワー〉という売り出し方をしてね。

社長が“ひとり、おまえに預けるけれど、だれがいい?”と訊くから“じゃ、吉田”と言ったんですが、僕のスタッフには賛否両論でした(笑)。吉田は無口で優しい男でね。

僕には面白い男でしたよ。
前に「無頼平野」に出てもらったけど、“大人になったなあ”って思いましたね(笑)」

この新東宝時代から、独特のモノローグの使い方に変化はない。

「脚本家によっては“手法としてズルイ”などと堅いことを言いますね。
でも、僕はナレーションの類いが好きなんですよ。

怪しげなところへ人物が入ってきて、その人物が語る。
その語りがスーッと異様な空気を運んでくるのが大好きで、卑怯もクソもないわけです。

主人公が“それは××だった!”と語るとノレるし、ポンと映画に入っていけるきっかけになります」

編集作業中だった「盲獣vs一寸法師」(2001)は、〈異常性愛路線〉の最終作「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」(1969)以来、32年ぶりの乱歩原作作品だった。

「(「盲獣vs一寸法師」は)ちょっとインチキなタイトルで忸怩たるものがありますが、乱歩さんの作品は子どもの頃から好きでしてね。

〈エロチック〉も〈怖い〉もあるでしょ。
(少年時代は)親が心配するので、懐中電灯を使って布団の中で読んでいましたよ。

で、乱歩の中でいちばん強烈なのが「盲獣」なんですね。
これは増村保造さんがもう撮っていますし、実は「一寸法師」も4回くらい映画化されている。

そのままでは焼き直しになってしまうので、それならとふたつを組み合わせてみたら、実にしっくりきた。

ほとんど原作どおりなんですよ。
増村さんはずいぶん(原作を)いじられましたが、僕の(「盲獣vs一寸法師」)は〈意思〉が入っていないんです」

手元の「盲獣vs一寸法師」の脚本をめくるなら、最後のページに今後の石井プロダクションの新作ラインアップが掲載されている。

そこには「人間失格」「郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす」「飢餓海峡」「ザ・フードル」「Once upon a Time in Japan」という5作品の名が刻まれていた。

「順番に入っていなかったんですよね、乱歩は。
ところが、創元推理文庫に載っていた(「盲獣」の)挿し絵がよくてね。

“じゃ、これでいこう”となっちゃった。
あ、「地獄」に続いちゃうと、そういう(異常性愛みたいな)路線にまた行ったのかと思われますか。

なるほどね、やっぱり改心して「人間失格」をやればよかったかな(笑)」

自宅でのコンピューター編集もさることながら、「盲獣vs一寸法師」は、フィルムではなく、すべてデジタルカメラによる撮影が行われた。

これについては、前作「地獄」(1999)が興行としてうまく運ばなかったところが多々影響しているという。

「あれ(「地獄」)はお金がかかっちゃったし、おまけに(閻魔大王に裁かれる罪人のひとりが)麻原彰晃だったでしょ。

閻魔大王役には大物の役者が決まっていたんだけど、撮影間際になって“占いで悪いと言われたから”って逃げちゃった。

「ねじ式」が大当たりした劇場でもかけてくれませんでしたねえ。
無理もないことかもしれませんが、正直悔しかったですね。

終わってみれば借金が残って、本当に〈地獄〉でしたよ。
これだけみなさんに見られずに終わっているなら新作みたいなものだから、もういっぺん(映画館で)やってもいいんじゃないですかね(笑)」

結果、金策が大変だったという「盲獣vs一寸法師」は、それでも「地獄」に続いて新東宝時代からの盟友・丹波哲郎がトリを務め、作品をピシリと締めた。

「(丹波哲郎は僕の作品の)ハンコみたいなものですね。
売れない頃から“俺は世界的な俳優だ”なんてホラばかり吹いて、でも本当に有名になっちゃったというね。

憎めない人ですよ。
撮影現場にも“はい、存分に料理してちょうだい!”って入ってきますけど、料理もクソも台詞を覚えていないじゃないかってね(笑)」

もうひとりの盟友・高倉健とも新作でのタッグを希望していた。

「少し前に、健さんに作りたい映画のことを書いた手紙を出したんです。
そうしたら、大事に机にしまって、コピーを胸ポケットに入れてくれているっていうんです。

気に入ってくれたのかな(笑)」

先述の新作ラインアップでは作品名とともに高倉健の名前も記載されている。
いったいどの作品にその名があったのか。
想像してみるのもオツだろう。


没後15年 天才にして職人 石井輝男・超映画術

池袋 新文芸坐

12/2(水)
「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」
「徳川いれずみ師 責め地獄」

12/3(木)
「地獄」
「ポルノ時代劇 忘八武士道」

12/4(金)・5(土)*
「直撃地獄拳 大逆転」
「江戸川乱歩全集恐怖奇形人間」

12/6(日)・7(月)
「怪談昇り竜」
「やさぐれ姐御伝 総括リンチ」

12/8(火)
「ゲンセンカン主人」
「ねじ式」

※12/5(土)15:00よりトークショー:伊藤俊也&瀬戸恒雄(石井輝男プロダクション代表) 聞き手:賀来タクト

石井輝男監督オリジナルTシャツ 会場にて限定枚数販売


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