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小橋めぐみ
ファン・ジョンミンという役者。
正しさではなく、人間が生きる姿を
その作品で彼は、韓国最大の犯罪組織のナンバー2で、無邪気と狂気と漢気を併せ持つカリスマ性溢れる“兄貴”チョ・チョンを、魅力たっぷりに演じていた。私は恋に落ちた、というより「どこまでもついていきます、兄貴」
と、女心ではなく、男心がくすぐられるような気持ちになった。
チョ・チョンが瀕死の状態で、弟分に向かって
「強くなれ 強く生きるんだ 俺の舎弟よ それがお前の生きる道だ」
と言う言葉は、そのまま私の心に突き刺さり、強く生きるとはどういうことなのかを教えてくれた。
「新しき世界」の制作発表で、本読みの段階からファン・ジョンミンの台本はボロボロで、沢山書き込みがあった、とか、現場でも細かくアイディアを出していた、と共演者が明かしていて、そのエピソードに深く納得した。ヒリヒリするようなシリアスな場面が多い中で、彼の無邪気さと細やかな仕草が、映画に深みを与えていた。
次に観たのは、「哭声/コクソン」の祈祷師イルグアン役。またもやカリスマ性を溢れさせながら、今度は無邪気さではなく、いかがわしさを兼ね備え、作品をとんでもない方向に引っ掻き回していた。
監督のナ・ホンジンは祈祷師役のキャスティングが難航している中、たまたまつけたテレビで放送していた「新しき世界」のファン・ジョンミンの演技に感服して、オファーをしたのだそう。
とにかく圧倒されたのが、7分以上にもわたる除霊の場面で、何かがファン・ジョンミンに憑依してしまったんじゃないか?と心配になる程、凄まじいテンションで奇声をあげ、飛び回っていた。
祈祷師自らもこの世ならざる者になって気を狂わせないと、悪霊を退治できないのだと震えながら私は悟った。同時に、彼のあまりの狂気に、おかしさも込み上げてきた。ファン・ジョンミンは度々、スクリーンから、はみ出す芝居をする。結果、映画全体が何倍にも膨らむ。
そんな彼の最新作が「ソウルの春」だ。
1979年、10月26日、長きにわたり独裁者として君臨した韓国大統領が暗殺され、国中に激震が走った。暗殺事件の合同捜査本部長に就任したチョン・ドゥグァン保安司令官(ファン・ジョンミン)は、新たな独裁者となるべく、同年12月12日に軍事反乱を決行する。一方、高潔な人物として知られていた首都警備司令官イ・テシン(チョン・ウソン)は、軍人の信念に基づいて、チョン・ドゥグァンの暴走を食い止めるべく立ち上がる。
大統領暗殺後に起こった、この歴史的なクーデターは、韓国現代史の運命を変えた日と言われている。独裁者の座を狙う男と、国を守ろうとした男。国家の命運は、たった一晩にして決着がついてしまった。その一夜の攻防を描いたこの作品は、韓国で2023年の観客数第一位の大ヒットを記録した。
チョン・ドゥグァンの強みは、陸軍内に“ハナ会”という秘密組織を持っていることだ。ハナ会の将校たちを率いて、彼らの絆を徹底的に利用し、大胆な作戦を次々と立てていく。不利な立場に陥っても一ミリも諦めず、悪知恵を働かせ、交渉する。
鎮圧軍が一安心と胸を撫で下ろしたのも束の間、あっという間に形勢が逆転し、反乱軍が優勢になった数分後には、鎮圧軍がまた盛り返す。刻々と戦況が変化する原因は、次々に巻き込まれていく軍や要人たちが、どちらにつくか分からないことだ。
構図としては、善(鎮圧軍、イ・テシン)VS悪(反乱軍、チョン・ドゥガン)。
時代と社会を正しさへ導こうとした鎮圧軍に対し、時代と社会を手中に収めようとした反乱軍。観終わった後は、どっと重く、悔しさが込み上げる。
なぜ、あれほどの正義が悪に負けたのかと。でも同時に、反乱軍が勝利した理由というのも、手に取るように分かる。
先導したのがチョン・ドゥグァンのような、人の心理を巧みに操る狡猾な人物だったからだと。暴力や勢いだけで物事を進めなかったからだと。
銃撃戦もさることながら、心理戦での攻防に、目が離せなかった。
私は鑑賞後、「人が勝つために本当に大切なことは何なのか?」ということを真剣に考えてしまった。正しさだけではない、勝つための答えを。
しかし映画は、反乱軍の勝利という歴史的史実に基づきながら、勝利直後の、チョン・ドゥガンの心理描写を繊細に描いている。
状況的な結果としてはクーデターは成功したと言えるが、軍人としてのチョン・ドゥグァンは、イ・テシンに負けたのではないかと、表現するシーンがある。一夜にして全てを手に入れながら、唯一手に入れられなかった、軍人としての尊厳。
それに気づけないほど愚かな人間ではなく、でもそれを捨てたからこそ勝利できたのだという自分への満足感。その複雑な感情を放出する姿を見た時、歴史を動かす人物の底知れなさと凄みが伝わってきて震えた。
本当のところはどうだったのか、それは記録にはない。本人は、ただ仲間たちと勝利に酔いしれただけだったかも知れない。
でももしかしたら、彼も・・・。実話をモチーフにしたフィクションを作ることの意味は、時系列を追うだけでは分からない、当事者たちのあり得たかも知れない感情を描くことにある。それによって、史実がより多面的に見え、埋もれていたものに光が当たる。
ファン・ジョンミンは「新しき世界」でのインタビューで「俳優として太く短くではなく、細く長く続けていきたい」と話していた。
“細く”という言葉が意外だが、謙虚な彼らしい、言葉のチョイスだと感じた。俳優業を長く続けてほしいと、心から願う。
これからも、ファン・ジョンミンの演じる役を通して、私は人間というものを学び続けたい。 正しさではなく、人間が生きる姿を。
ソウルの春
監督:キム・ソンス
出演:ファン・ジョンミン/チョン・ウソン
2023年/142分/韓国
原題:12.12: The Day
配給:クロックワークス
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角川シネマ有楽町ほか公開中