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相田冬二
是枝裕和は、【素描画家】なのだ
凄まじいほどの贅沢三昧である。
リリー・フランキー、樹木希林という両【国宝】を幾度となく投入してきた是枝裕和だが、日本国内ではここまでの贅沢を貫けたことはなかったように思う。
まず、ナ・ホンジン「哭声/コクソン」、イ・チャンドン「バーニング」、ポン・ジュノ「パラサイト 半地下の家族」すべてを手がけた撮影監督ホン・ギョンピョのカメラである。
ロードムービーと追跡と張り込みと駆け引きが四重奏を奏でる本作においてギョンピョは、移動と停滞が織りなす【映画的地形】を見事に視覚化してみせる。
車中はもちろん、ロケや室内すべてが素晴らしいが、なんと言っても見事なのは、内部と外部をワンショットで越境し、同時に見せてしまう幾つかのショットだ。
たとえば最初の滞在場所である孤児院の部屋。朝、晴天の雨、に思わせて、雨だれ、というシークエンスを室内の人物が窓の外に手を伸ばす、あるいは警察が犯罪者をネゴシエイトする屋上の場面。
夜のネオンを背景に影だけで3人の女性を捉えたシークエンスは影絵と言ってもいいくらい抑制されており、呆気にとられるほど美しい。
そのカメラワークはあまりに官能的で、ときに台詞や物語の展開を忘れさせるほどだ。
内部/外部のボーダーラインを明滅させる手法は当然、自動車にも適用されており、女刑事ぺ・ドゥナが雨でガラスに張り付いた花に触れる場面は、理屈を超えている。
是枝の作劇は大きく変化しているわけではない。
しかし、説明的な描写も、ギョンピョは鮮やかに映画に昇華している。
これ見よがしな映像は皆無だが、着実に観る者に【映画的本能】を焚きつける。
この撮影監督が被写体としている面々は、まさにオールスターキャストだ。
ギリギリまでハードボイルドを全うするぺ・ドゥナの突っ張りは、その不機嫌なぶっきら棒さの先にある可愛げを感じさせるもので、相棒役、「野球少女」のイ・ジュヨンの的確な好サポートとも相まって、「私の少女」以来の名演となっている。
こんなぺ・ドゥナが見たかった。誰もがそう思うのではないか。
そのぺ・ドゥナが追いかけることになる赤ちゃんブローカーたる【擬似家族】たちもまた、それぞれがそれぞれの演技的オリジナリティを発揮している。
それでいて、アンサンブルは全く崩れない。
実質上の主人公とも言えるIU=イ・ジウンは、気丈な美しさに頑なさと脆さを纏わせ、ぺ・ドゥナ同様、ギリギリの縁にチャームを佇ませる。
とりわけ、観覧車の場面には永遠不滅の輝きがある。10代の頃から芝居の精度は高かったが、これは文句なしの代表作だろう。
カンヌで女優賞を獲ってもおかしくなかった成熟がある。
カン・ドンウォンは、彼自身が有しているシャイネスが最良のかたちで画面に定着している。
もともと無言の表情に有無を言わさぬ説得力のある俳優だが、寡黙な渇望がここでは周遊する愛らしさとなって、可憐な花を咲かせている。
そのありようはヒロインと呼んでもいいほどだ。
そして、ソン・ガンホ。
ここまで抑制の効いた彼を見られることの愉悦が、初登場での最初の第一声から感じられ、あとはドミノ倒しのように、ただただ、やめられない、止まらない。
緩急のギアの入れ替えに、最高のドライビングテクニックを発揮してきた男が、ここではオートマティック車に乗り換えたようにスムースな【運転】を見せる。
ぼんやり眺めていると、何もしてないと錯覚させるほどだが、【映画の守護天使】としてこれまでも作品をくるんできた存在の抱擁力が、いよいよ透明化しているとも言えるだろう。
特筆すべきは、IUにしろ、ドンウォンにしろ、ガンホにしろ、わたしがインタビューしたときの本人の良さ、美徳を余すところなく掬い取っている点。
ガンホはやさぐれた設定なのに、本人のインテリジェンスが静かに横行していて、痛快だった。
実は、ここに是枝裕和という監督の本質もあるのではないか。
わたしは是枝には3つのカテゴリがあると考えていた。
まず、「誰も知らない」から「万引き家族」へと至る【社会性】が中心にあるもの。
そして、「歩いても 歩いても」や「海よりもまだ深く」などの【私小説】風のもの(ここに「ワンダフルライフ」も含んでいいだろう)。
「ベイビー・ブローカー」には「そして父になる」と同様のモチーフはあるが【社会性】よりは、「海街diary」「三度目の殺人」に連なる【エンタテインメント】としての側面が強い。
だが、そんなカテゴライズより重要なことがあった。
是枝は、役者に【演じさせる】演出家ではなく、俳優その人をスケッチして、ほとんど色も塗らぬまま提示したい、【素描画家】なのだ。
韓国の映画人たちと作った本作において彼はかつてないほど解放されており、【社会性】にも【私小説】にも【エンタテインメント】にも頼ることなく、ただただ名優たちをニコニコと見つめている。
そして、そのありようは、インタビュー時の是枝裕和本人から受ける肌触りと完全に一致しているのである。
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:ソン・ガンホ/カン・ドンウォン/ペ・ドゥナ/イ・ジウン
2022年製作/130分/韓国
原題:Broker
配給:ギャガ
6/24(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー