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鵞鳥湖の夜

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暉峻創三


どこに光線のクライマックスを設定するのか

ここのところ、中国映画史で「第6世代」と呼ばれる概ね1960年代生まれの監督を中心に、ひと昔前の時代をふりかえって描いた映画が妙に目立つ。

絶対数として、そのような映画が増えているのかはわからない。
ひと昔前を描いた作品から秀作が続々生みだされている傾向がある、と言った方がより適切だろうか。

以前からポピュラーなジャンルとして存在していた時代劇や、日中戦争に材をとった抗日もののように、大昔まで時代を遡るわけではない。

大枠では現代ものに分類し得る時代枠のなかで、「現在」からわずかに時間を遡った「ひと昔前」を好んで取りあげるのが、その特徴だ。

ジャ・ジャンク―の「帰れない二人」、ワン・シャオシュアイの「在りし日の歌」、ロウ・イエの「シャドウプレイ」、ロウ・イエ作品の脚本家としても知られてきたメイ・ファンの「恋唄1980」(2020年の東京国際映画祭で上映)、そして70年代生まれとわずかに若い世代に属するドン・ユエの「迫り来る嵐」など、重要監督の多くが近年、このトレンドを代表する作品を生みだしている。

世代的にはやはり第6世代の一人ということになるディアオ・イーナンの「鵞鳥湖の夜」も、まさにこの傾向を象徴する作品だ。

警察から報奨金つきで追われる立場になった男と、彼の前に現れた謎の女、そして二人を追う警官の物語。

そのストーリーラインは、いま現在を背景にしても、寸分たがわぬ内容が語れそうなものだ。が、監督は敢えてそれを2012年の物語として語っている点が、目を引く。

本作はもともと、その頃に発生した現実の事件に着想を得て作られた経緯があるため、単にそれが理由でひと昔前の時代が選ばれたとも考えられる。

ただ、美学上の観点から別の理由を探るなら、中国の地方都市に、より多くの夜の闇が存在した時代を求めて、敢えていま現在の物語にすることを避けたようにも見える。

画面の暗さがこれほどまでに映画の基幹をなす作品も、そうそうないからだ。

大部分の場面が、夜に設定されている。

そして夜の闇が支配するなか、謎の女を演じるグイ・ルンメイのみが赤をキーにしたやや鮮やかな衣装で際立ち、その存在をいっそう謎めかせる。

夜の世界に生きる男たちの間に、突如どこか別世界から舞い降りてきた女とでもいった風情……。

日中時間帯の場面も、ないわけではない。
けれどそこに、燦燦と太陽光線が降り注ぐことはほとんどない。

たいていの場面は、建物の隙間から限定的な光線が注ぐ程度で、基本は薄暗い。
仮に屋外に出ても、そこでは快晴というより、どんよりとした曇りの天候が選ばれている。

ただ、そんななかでも最も劇的な状況を招き寄せる局面では、最もふんだんに太陽光線が注ぐ環境が選ばれていることに、注目すべきだろう。

一つは、主人公男女が湖上のボートで過ごす時間(そこで桂が手を水中にさらす場面は、本作の格別に美しい一瞬だ)、そしてもう一つはラストシーンである。

実のところディアオ・イーナンは、前作「薄氷の殺人」でも、夜の映画作家ぶり、言い換えるなら光線や闇への過敏な感性を存分に見せつけていた。

そして2014年に発表された同作も、現代ものでありながら、その物語は1999年から2004年をまたにかけた、ひと昔前のお話として設定されていた。

映画の光線設計というと、個々のショット内におけるそれが、専ら語られがちだ。

けれどディアオ・イーナン作品は、光線が時間軸上の観点からも周到に設計されるべきものであることを、教えてくれる。

ドラマの起承転結の流れのなかで、どこに光線のクライマックスを設定するのか。

その光線や闇を自然かつ効果的に表現するには、いつの時代にそれを設定するのが最もふさわしいのか。

ここに、彼の作品独自の美学がある。



鵞鳥湖の夜
監督・脚本:ディアオ・イーナン
出演:フー・ゴー/グイ・ルンメイ
2019年/111 分/中国・フランス
原題:南方車站的聚会 THE WILD GOOSE LAKE

配給:ブロードメディア
©2019 HE LI CHEN GUANG INTERNATIONAL CULTURE MEDIA CO.,LTD.,GREEN RAY FILMS(SHANGHAI)CO.,LTD.,

全国順次公開中 
11月6日(金)より kino cinema 横浜みなとみらい にてロードショー


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